生きる事と死んでいない事
そうです、また私みつまりですどうもこんばんは。
どうもみつまりです
私ばかり投稿してるので、けきぺろを隠密に愛読してくださっている皆様に置かれましてはあとの二人はどうなってるのかと、食べ物や飲み物以外は喉を通らない程ご心配をおかけしているかと思いますので簡単にご報告だけさせていただきますが、二人とも死んでいませんのでご安心ください。
さて、本日は表題の件について少し。
以前カメノセタロウがこちらで記事にしていた「反出生主義」の記事と少し似ている?かもしれない?内容?かどうかは分かりませんが、私なりの死生観?というにはおこがましいかも知れない?事を、お話したいと思います。
生きる事の向き不向き
私も多くの人と同じく「お父さんお母さん私を産んでくれて本当にありがとう」と思っています。 思っています。大事な事なので2回言いました。
十人十色と言う言葉の通り、人は皆それぞれ違うもの。
なのですが 、無意識下では
「人間は皆同じような形を成しているので中身も似たようなもの」だと、どうしても思いがちです。
「そんな事無い、価値観や考え方は違って当然だと思うよ!」とかそういうお話ではなくてですね
『生を受けた肉体としての「生存本能」みたいなものは基本大体同じ。』
そんな風に無意識に思っていませんか?
「食欲・性欲・睡眠欲」みたいな三大欲求レベルの「健やかに生きたい気持ち」みたいなものです。
私には、この部分がなぜがごっそり欠けてるんですよね。
生まれた時の話を聞くと、とにかく食が細くお母さんのお乳を飲まない、そして寝ない。
幼稚園小学校では掃除の時間まで机ごと廊下に出されてのスローフードランチが日常。
少し大きくなって外食に連れて行き「何でも好きな物を食べていいよ」と言われても、ざる蕎麦か素うどんしか食べない。
遊園地に行けば着ぐるみが怖いと怯えて入園口で帰りたがり、お祭りに連れて行けば提灯が怖いと言って近寄ろうともしない。
幼稚園から行くのを毎日過度に拒み、お泊り保育や小学校の林間学校修学旅行ではどんな山奥でも親に迎えに来てもらえるレベルに到達するまで嘔吐や高熱を繰り返す。
難易度の高い何かではなく
食べる事であったり楽しい事であったり眠ることであったり
皆が難なくこなす事というよりは「したいからする、して当然」という「本能的に体がそれを求める」レベルの事が、私には昔からとてもハードルの高いものでした。
そしてそれらは、未だに私にとってハードルの高いものであり続けています。
生きる事そのものが、私には向いていないのだなと思います。
そんな人間がこの年までよく生きたなと、我ながら不思議でなりません。
体だけはとても丈夫に生んでいただいたのでしょう。
そしてそんな恵まれた身体を大切にしようとしない私を多数の人は「親不孝」と呼びます。
そんな時、本当に私には生きる事が向いていないのだなと思います。
そんな私は、今日も「生きている」というよりは「死んでいない」日々を送れている事に、感謝するべきなのかも知れません。
「お父さんお母さん(あなた方、よくも)私を産んでくれ(やがっ)て本当にありがとう」
本日は以上です。