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ノーインターネットノーライフ 言うてますけど

反出生主義と言う考え方。

毎日「お父さんお母さん、僕を産んでくれてありがとう」と思っているカメノセタロウですこんばんは。諸般の事情(怠惰な性格等)により更新が2週間ほど滞っていましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。そういえば、セミの鳴き声もめっきり減って夕暮れにはコオロギが鳴いてますね。

 

亀井静香と言う男

ところで、私には好きなれない政治家がいて、その政治家のお名前は『亀井静香』とおっしゃり、名前に反して全く静かではない方なのですが、この亀井静香さんのとある主張にとても考えさせられたことがあります。

亀井静香さんは、元警察官僚で死刑廃止論者なのですが、その警察官僚としての経験から「冤罪を無くすことは絶対にできない。そうである以上、『死刑』は肯定できない」旨の発言をよくされております。なるほどな、と。犯人を死刑にするのが当然であるほどの凶悪事件であり、犯人も犯行を認め、疑いようがないほど明白な事件であっても、「それは100%確実か?」と、問われると、はて。『虚言・身代わり・愉快犯etc』もしかして、と言うのはどこかにはある気がします。私は死刑制度賛成論者ですが、『冤罪』が存在しうると言う点、その一点だけで考えるならば、死刑制度は擁護しにくい物だなと思うこともあります。

 

反出生主義とは

さて、話しは変わります。

人類は、今まで世代を繋ぎ、文明を築き、科学を発展させ、子々孫々繁栄してきました。今は多様な価値観が尊重される時代なので、『子を産み育てる』ことを強いられることは昔に比べ、減ってきているとは思います。子を産むかどうかを含め、それぞれの個人の選択の自由に属することだ、と言う考え方は多くの方に支持されることではないでしょうか。

そしてまた、人に何かをする時には、人と何かをする時には、その相手方の同意が必要だ、と言うのも多くの方が同意することだと思います。昔話では、寝てるお姫様にキスするという暴挙をする王子様もおられましたが、現代ならば警察を呼ばれてもおかしくない事案でしょう。「だって、寝てたから同意を得ようと思っても無理だったんだもーん」とかいう理屈は通らないことかと思います。

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ここに、反出生主義と言う考え方があります。

反出生主義(はんしゅっしょうしゅぎ、Antinatalism)とは、子供を持つ事に対して否定的な意見を持つ哲学的な立場である。 アルトゥル・ショーペンハウアーエミール・シオランデイヴィッド・ベネターらが反出生主義の擁護者として知られている。

反出生主義 - Wikipedia

 

私は確固たる反出生主義者ではないのですが、ある一点に関しては、反出生主義的な考えを持っております。それは、「産まれてくる・産まれさせられる相手の同意を得なくていいのか?」と言うものです。

「いや、まだ産まれても無い、存在すらしてない相手の同意を得るなんて無理やん?」ええ、当然の反応かと思います。ですが、無理ならしたらあかんのとちゃうん?と思ってまうのです。「同意を得るのが無理な場合、同意を得ずに相手のことをなんやかんやして良い」ってのは成立せんとちゃいまんのやろか。

それが成立するなら

  • 気を失ってる美女から同意を得るのは無理でしたので、キスしておきました。
  • 危篤に陥った資産家から同意を得ることは無理なので、私に遺産を相続する旨の文章を作っておきました。
  • どうやっても起きなかったので、殺しておきました。相手に拒否権はありません。
  • 存在しなかったので同意を取ることができんかったけど、アンタを産むことに決めました。アンタに拒否権はありません。

等が成立してもええことになります。これ、おかしくない?殺すのと産まれさすのは一回やったらもう元通りにはしてあげられへんねんよ?

 

カメノセタロウは豆腐が嫌いである

よく「私、○○が苦手で食べれないんですよ~」と言う人に対して、「いやいや、それは本当の○○を食べてないからやわ。今度、ホンマもんの○○を食わせたろ!」的な会話が発生することがありますが、基本的にはこれマナー違反だと思います。「うわー、本当だ、おーいしー」となることもありますが、相手が嫌なものを強いるという行為は、基本的にはNGだと思っております、ほら鳥の生肉食えよ。

同じように、生きることを肯定的に捉えていない人、生きることに苦労を感じている人に対し「人生をもっと楽しまなきゃ!生きてるだけで丸儲け!」等と生きることを強いる旨の発言をおこなう人もいます。ですが、命と言うものは、まさにその人の物。その人だけの物。その人のための物。で、あります。人の命に対して、軽々しく干渉することは、基本的に慎まなければならないことなのではないかな、とも思います。

人の命を、勝手気ままに奪うことは、許されない行為でしょう。ですが、それに反し、人の命を勝手気ままに与える、つまり子を作ると言う行為は、大っぴらに世間に認められて存在しています。

「あらー、可愛い子ね!産むことの同意はちゃんと本人から得たの?」

そんな会話がなされる世界は、どこにも存在しません。しかし、その人を存在させることに関して、その当事者である本人が同意をすることが望ましいと言う点に関しては、多くの人が同意をしてくれるものかと思います。

「いや、でもそんなん無理やん」

ええ、もちろん無理ですが。

「同意を得なければ産んだらアカンって人類滅亡するやん」

人類が滅亡しようがどうしようが、本人の同意を得る方が望ましいという点は何ら関係ない話しです。

 

我々は神であり、奴隷である

今この世に存在する私たちは、今この世に存在していない者に対して、まさに神のごとき存在です。存在していない者を存在させるも存在させないも私たちの思い次第であり、日本だけで、日々数千の存在しなかった者の命が存在するようにさせられ、また、存在させられながら、合法的にその命を消される者も日々数百発生しております。そのすべてが、その命の所有者の同意を得ずして。そして、またそれをおこなっている私たちも、同意を求められることなく、存在することを強いられました。

私の頭では無理ですが、この『本人の同意を得ずに命を扱う』ことに関して、偉い人は良いアイデアを持ってないのでしょうか。また、産まれることを望まないままに産まれさせられ、生きることを望まないままに生きることを強いられる人に対して、何らかの救済などを考えたりできないのかな、と思うことがあります。

 

そんなことを考える、夏の夜更けのカメノセタロウでした。