ケーキをペロペロする奴は大体友達

ケーキのフィルムをペロペロする奴は大体友達

ノーインターネットノーライフ 言うてますけど

かっこ良い歴史的名称 ~世界史後編~

 前編を書いた時からどれくらいの時を経たでしょうか、こんばんは。今日も相変わらずカメノセタロウです。

cake-peropero.hatenablog.com

 学校の歴史の時間や、その他雑学的に知った世界史の歴史的名称。今回は、個人的にカッコ良いと思うベスト5を解説とともにお届けしたいと思います。

5位

 アレクサンダー大王 (人名 紀元前4世紀)

「大王」と名の付く者の中で、幼い頃におそらく最初に目にするザ・大王ことアレキサンダー大王。アレクサンドロスアレキサンダーなどの表記も見られますが、今の教科書ではどのように書かれておるのでしょうか。いずれの表記でもカッコ良いのが憎いところ。

名前としてのカッコ良さは、前半部分の「アレク」に漂うスマートさ、切れ味の良さと、後半の電を連想させる「サンダー」の相乗効果により鮮烈な印象を帯びております。そして、最後に構える「大王」。小手先無用のカッコ良さであります。ちなみに、英語では「Alexander the Great」でございます。グレイトでございます。

 

ちなみに、歴史上の彼は比類なき戦争狂で、マケドニア王であった父を暗殺で失うと、後継者の争いに打ち勝ち、ギリシアに覇権を打ち立て、再び故郷に帰ることのない遠征へと出かけました。時に、アレクサンダー、22歳。

f:id:kamenosetarou:20171015192937j:plain
右青丸で囲っているのが、即位するや否や戦争狂アレクサンダー(左赤丸)に6年付きまとわれ死亡した被害者ダレイオス三世さん

その後、エジプトを征服しファラオになり、各地に自分の名前を付けた都市・アレキサンドリアを作り、現在のイラク・イランへ向かいペルシャ王国を打ち破り、「まだこの先にも国があるから、戦争しちゃおうぜ」的にインドへ攻め込んだあたりで部下や兵隊たちが「もう無理、マケドニア出発してから何年経っとんねん。思えば遠くへ来たもんだって言うか遠くへきすぎやろ。21世紀で言うたらギリシャを出発して、トルコ、シリア、レバノンイスラエルパレスチナ、エジプト、イラク、イラン、パキスタン、インドを征服してまんねんで。山に登り、水の無い砂漠を行進し、大河を渡り、もうええでっしゃろ。そろそろ故郷へ帰りましょうぜ」と集団ストライキ。これには敵には無敵のアレクサンダーもお手上げ。「分かったよ、分かったよ。ほなインドから撤退して帰るで。けど、帰り道も未征服の土地を征服しながらやで」と渋々同意するも、落胆が激しかったのか、現在のイラクあたりに帰ってきたところでぽっくりと亡くなりました。時に32歳。22歳でマケドニアを出発して10年後の事でした。

戦争狂の彼ですが、某宗教もびっくりなギリシャ人・ペルシャ合同結婚式など、ギリシャのヒト・文化を当方へもたらし、東方の文化と攪拌し、世界史へ大きな痕跡を残しました。

f:id:kamenosetarou:20171015193653j:plain
赤丸地のマケドニアを出発して、10年間ひたすら戦争してました。

 ちなみに、かの有名なエジプトの女王クレオパトラはこの大王の300年後の人物ですが、彼女がギリシャ系なのも、アレクサンダー大王がエジプトを征服したことによります。

 

あ、一番最初に目にする大王は南の島の大王ハメハメハかな、音楽の時間に。

 

4位

ビザンチン (国・文化・都市の名称)

ビザンティンとも、ビザンツとも、ビザンティウムとも。用法により呼び名は変わるが、カッコ良さは相変わらず。ローマ帝国が東西に分裂した後の東ローマ帝国のことをビザンツ帝国とも呼びますね。『東ローマ帝国』より断然『ビザンツ(Byzantine)帝国』でしょ、カッコ良さ的に。

やはりここでも、濁音と日本人には発音しがたそうな「ティン(tine)」がカッコ良さと重厚さをもって押し迫ってきます。「ビザン」の部分に関してはもう言わずもがな。ビザンチン帝国の首都の重厚な城壁を思わせるほどの荘厳さです。

都市としては、現在イスタンブールと呼ばれているトルコの都市の昔の名前で。ビザンツ帝国在りし日にはコンスタンティノープルと呼ばれておりました。

f:id:kamenosetarou:20171015195748j:plain
赤丸ンとこやで。ここから東がアジアで西がヨーロッパ。

ビザンツ帝国と言うと厳めしいイメージがありますが、当時は単にローマ帝国と言っていたようです。ローマを有していないのにローマ帝国?とか突っ込んであげないようにくれぐれもお願いいたします。ローマを有していた西ローマ帝国が5世紀に滅んだのに対して、ビザンツ帝国こと、(東)ローマ帝国はその後1000年。何とか15世紀まで命脈を保ったのですから。なお、難攻不落を誇った首都コンスタンティノープルの城壁でしたが、扉の鍵の閉め忘れによって、帝国は滅びましたとさ。

 

現在はイスタンブールとその都市の名を変えておりますが、重厚な城壁は今なおその姿を残しておりますので、観光の際にはぜひ。

 

 

3位

カノッサの屈辱(事件名 11世紀)

一見、歴史的名称ではないように見えながら、「他のとは一味違うぜ」感がよろしい。ぱっと見では内容が分からない方が高得点です。その点「大塩平八郎の乱」等は失格です。「ああ、大塩平八郎が乱を起こしたんだな」とネタバレし過ぎです。歴史的名称ではないかもしれませんが、「ドーハの悲劇」などの名称も同じ理由で好きですね。

これと似たような「俺っちの名称は他のとは一味違うぜ」的なものは以下のようなものがあります。

一応、カノッサの屈辱に関して説明をすると、キリスト教文化圏における宗教のトップ「ローマ教皇」と、あまた諸侯を従える一国のトップ、神聖ローマ皇帝のどちらが上やねん。と言う長年の確執に対して神聖ローマ皇帝が「ワシが悪うおまんした、教皇はんすんません」と屈辱的な謝罪をカノッサでした事件です。ローマ教皇の優位性が示された事件、として学校で習うかもしれませんが、もう少し深く掘り下げるとちょっと違ったものが見えてきます。

 

f:id:kamenosetarou:20171015212047j:plain
素足の皇帝

と言うのも、「許しておくれやす、ローマ教皇はん」と言った皇帝はこの数年後、「許さんでローマ教皇はん、ローマから出ていけ。て言うか、お前はもう教皇ちゃうからな」と、他の人をローマ教皇に立て(対立教皇と呼ばれます)、ローマ教皇が複数人いる事態ともなっております。カノッサの屈辱は、危機的状況に陥った皇帝の一時しのぎ的なものでありましたとさ。

 

2位

バルバロッサ作戦 (歴史的事件名 20世紀)

前回の記事の6位の物と多少かぶるのですが、第二次世界大戦におけるドイツのソビエト奇襲作戦の名称です。バルバロッサは神聖ローマ帝国皇帝(つまり、ドイツ皇帝)の赤ひげを意味するあだ名「バルバロッサ」からとられております。

このドイツvsソビエトの戦いは、1000万人以上の人間がぶつかり合う、その悲惨な内容に反し、純粋な少年の心を刺激する何か魔性のような名称のものがあります。例えば。

ちなみに、二次世界大戦における日本軍の作戦名にも、中にはこんなものがあります。

  • 大陸打通作戦(中国大陸にある連合国の航空基地に対する作戦)
  • 菊水作戦(沖縄救援作戦 大和特攻含む)
  • 捷一号作戦(レイテ沖海戦

などなど。

と、書いているうちに感傷的になってしまったので、その具体的内容については興味があればお調べくださいまし。

 

1位

神聖ローマ帝国(国名 10世紀)

神聖でもなければ、ローマでもなく、帝国ですら無いとも言われる神聖ローマ帝国。しかし、やはりその初見の時の衝撃度はすさまじいものでした。「○○帝国」ならいざ知らず、国名を「神聖」と「帝国」でサンドイッチするとは。

 

ちなみに英語では「Holy Roman Empire」だそうです。ホーリーナイト、いわゆる聖夜は性夜とも揶揄されますが、こちらのホーリーエンパイアーは、性帝国とは揶揄されない模様。良かったですね。

f:id:kamenosetarou:20171015221611j:plain
カッコイイ双頭のワシだぞ

4位で挙げたビザンツ帝国もローマを有してない『(東)ローマ帝国』でしたが、神聖ローマ帝国も、後々にはローマを有しなくなり、現在のドイツを有する良く分からない帝国になりました。

 また、ちょっと意外かもしれませんが、神聖ローマ皇帝は選挙で選ばれておりました。と言っても、国民投票があったわけではなく、日本の江戸時代で言えば、特定の大名数名による投票で将軍を選ぶような形でした。

 

個人的には、不動の1位が神聖ローマ帝国ですが、他にもこんなおもろい国の名前があるで、と言うのを知っている方は教えてくださると嬉しいです。

他にもちょっと独特なもので言えば

  • 黒羊朝
  • 白羊朝

と言うペアルック的なものもありますが、カッコ良さでは太刀打ちできない模様。

 

番外編

12使徒(組織名)

皆さんご存知の、キリストの弟子。では、ありません。アイルランド(イギリスの西にある島の方の国)が組織した暗殺集団の呼称です。アイルランドは長年、イギリスに植民地されておりました。20世紀初頭、アイルランドはイギリスからの独立戦争を行いますが、その方法は基本的にテロ・ゲリラ戦でした。その中で、アイルランドはイギリスの要人暗殺を任務とした組織を立ち上げます。それが、この12使徒です。

後に名称は変更されますが、この響き。何とも言えませんね。

アイルランドの大きなテロのニュースを耳にしなくなっておよそ20年たちますが、さて。

 

 

では、秋の夜長にカメノセタロウでした。