まったくこの時の流れと言うものは。
どんなに時が流れてもいつもあなたの心と財布の中に。カメノセタロウです。
前の記事でも書いたのですが、先月の5月は私の誕生月でした。
cake-peropero.hatenablog.com
誕生日プレゼント、永遠に募集中
そんなわけで自動的に歳を一つ重ねてしまったのですが、考えてみれば、「時間」って怖くないですか?いや、何なのこの時間ってやつは!物質なの?物質じゃないの?実在するの?皆に平等なの?なんか、アインシュタインとか言う人が「時間は相対的なもんでっせ」とか言うたらしいけど、それって時間は皆に平等じゃないってことだよね。私の一秒とあの人の一秒は違うってことだよね!アメリカの一秒と日本の一秒は違うってことだよね!なにこれ、この時間ってやつは!手に負えないんですけど。
この時間ってやつの手に負えないところは、勝手にこちらに様々な義務や「そうあるべき」ってのを押し付けてくることです。産まれてこの方、ずっとそうです。
やれやれ、ようやく子宮から這いずり出てきたぜ、と思ったのもつかの間「出てきた後は、泣け!」と要求されます。今まで自動供給されていた栄養も、なんの断りもなしに停止されて「何時まで胎児の気分でいるんだ、吸え!」となります。やれやれ、わかったよ吸えばいいんでしょ吸えば、と応じても、相手は満足しません。時の流れとともに要求がエスカレートしてゆきます。「立て!」「しゃべれ!」「吸う時間は終わりだ、食え!」「何時まで漏らしてんだ、自分でひねり出せ!」「今日からは一人でトイレしろ!」
問答無用でございます。時間が経過した、ただそれだけのことなのに、様々な要求が降ってくるのです。だれやねん、勝手に時間進めてるの。
私はもう、良い感じにおっさんと呼ばれる年齢になっておるのですが、この年齢になってもやむことはありません。時間による迫害と言うものが。
- いつまで園児だと思っているんだ!(小学1年生)
- もう二年生でしょ、一年生から見たらお兄ちゃんなんだよ!(小学2年生)
- いつまで小学生気分なんだ。(中学生)
- 義務教育気分が抜けきらないのか!(高校生)
- もう大人なんだから。(大学生)
- え、まだ童貞なの・・・?あ・・・。(大学生頃から)
- いつまで学生気分なんだ!(社会人)
- 親へどんだけ仕送りしてんの?(社会人)
- まだ結婚してないの?(いい大人)
- お子さんはいるの?なんにん?どこの学校?(いい大人)
- ねえ、大学卒業したのになんで働かないの?(ニート)
ただただ、時間が経過しただけで、社会と言うものの絶え間ない要求が私に牙をむきます。いや、ちょっと待ってくれよと、思っても待ってくれないのが時間。私は何も変わっていないのに、ただ時間が経過したという外部環境の変化だけで、次々に新手の要求が繰り出される。なんだこれは、なんだこれは。
お前もたまには休め、な?
これは、おっさんになってからも変わりません。と言うか、死ぬまで変わりません。こちらから頼んだ覚えのないこの環境の変化と言うものが、私に様々なことを強制してまいります。
- まだ新入社員気分なのか?
- お前も部下を持つ身になったのに・・・。
- いつまで若手だと思っているんだ。
- もう歳なんだから引退したらどうっすか?
- おじいちゃん、もう昔の仕事の話はいいから。
- その年で自転車とか危ないですよ、自重してくださいね。
- あと何年生きるつもりなんですか?
時間は、私たちに様々な社会的な義務とか「当然こうあるべき」という姿を強いますが、そのうち、社会的だけではなく、肉体的な部分に関しても「お前の回復力、低下させといたから」「耳、聞こえにくくしておきましたよ」「寝しょんべん機能、再実装しました!」などと、とんでもないことをしてきやがります。いやいや、私が私であり続けるだけで、なにこれ?なにしてくれてんの?と、私は常日頃から思うのですが、このような話を他人にすると「え、なに言ってんのお前」と言ったような態度を取られます。皆さん大人ですね、実際に存在する現象などに関して、非常におおらかに受け入れる。私には到底できません、時間、反対!どこでデモ行進すれば良いのでしょうか、ご存知の方はぜひ教えてください。札幌の時計台の前とかですかね。
時間に関しては、まだまだ大いなる疑問があるのでまた記事にしたいと思います、そんなカメノセタロウでした。