ブログを始めて気付いた事や良かった事 ~果たして我々は本当にケーキのフィルムをペロペロしているのか~
お世話になっております、ケーキのフィルムをペロペロするみつまりです。
なんやゆーたらすぐこの画像使うみつまりです。
私はケーキのフィルムをペロペロいたします!
よく考えてみれば、当ブログのタイトルを
『ケーキのフィルムをペロペロする奴は大体友達』
にしている割には自分達がケーキのフィルムをペロペロしてるかどうかの申告をしていない事にたった今気付きました。読者の皆様方におかれましては最も気になっているであろう部分にもかかわらず、ブロガーとしての配慮が行き届かず大変申し訳ございませんでした。
残る共同ブロガーカメノセ野郎とよっぺぺ~いにもちゃんとペロペロしてるのかどうか土下座させて顔面ドブん中突っ込ませてでも真相吐かせますんでどうか今日のところは勘弁してやってください。いやホントこういう事ってちゃんとしといた方がいいと思うんですよマジで遊ぶ時は遊ぶ、遊ばない時は遊ばない的な事だと思うんですよ。
あと一緒にブログやってて「合作」というメニューバーまで作ってるのに一向に合作進まないみたいやけどどういう事やねんと疑問視されるかたもそろそろいらっしゃるかと思われますやだそこまで誰も気にしてないとか言わないで。
合作についてはちょっとお待ち下さい本当にすみません。お詫びに私が個人的に共同ブロガーの記事で特に好きなものを各一つずつご紹介させていただきますねやだいらないとか言わないで。
みつまりの共同ブロガーおススメ記事
【カメノセタロウ編】
これはカメノセタロウ氏の2つ前の記事です。
勝手にこの世に産み落とされたにもかかわらず、こちらの意図しない所ではたらく時間の強制力と、時と共に強いられる事象に対する理不尽さには私も非常に共感を覚えます。「カメノセタロウに同感」カテゴリを作成して私も賛同記事を作成しようかと考えている程です。
あと彼の名前って「カメノセ・タロウ」なのか「カメ・ノセタロウ」なのか「カ・メノセタロウ」なのか「カメノセタ・ロウ」なのか
どこで区切るのが正解なんでしょうね。
【よっぺぺ~い編】
これはよっぺぺ~い氏の記事史上というか、彼の人生で生涯にわたって「鉄板ネタ」として語り継がれるだろう貴重な経験だと思います。「感情が無いというかサイコパス的なとこがあるのかな」っていうくだりが特に好きです。
この話は、記事になる前からほぼリアルタイムで聞いていたのですが、内容的には女性不信とかになっててもおかしくないような話なのに、記事になったものを見たら普通に笑える話になっていて、よっぺぺ~い氏の物事の捉え方とか表現力凄いなと思いました。ていうかあんたも浮気してたんかいっていうね。
ちなみに私の過去のパートナーには「自称元ホスト」を名乗る人が2人いましたが、うち1人は世の中がバブル経済の時代に水商売の世界にいた人だったからか、お金の使い方のタガが外れておかしな事になっていました。(この人元ホストとか言ってるけどそれってつまり「現在ただのおじさん」やん...そんな感じでこの先どうするんだろう...)と他人事ながら心配になったものです。
本筋に戻る「当ブログ略称について。」
更に読者様視点に立ち考えを巡らせてみれば、人気者の必須条件である『略称(例:木村拓哉→キムタク・マツモトキヨシ→マツキヨ)』も定まっておらずでして...重ねてお詫び申し上げます所存で御座います。
実は、共同ブロガーのグループLINEでも三人共々「ペ...ペロペロの件なんやけど..」と、しっくりこない呼び方でモヤモヤしておりましたのですが、こちらに関しましては友人ピーの「今回のけきぺろの記事って~」みたいな何気ないひと言により
略称は『けきぺろ』に決定いたしました。
余談ですが、googleにて「ケーキのフィルムをペロペロ」で画像の検索を行いますと、以下のような結果になります※2017年6月時点
8割がたが、うちのブログで使用している画像です。
ほぼよーへい氏の顔面
こ、これは・・・?
と言う訳で、どういう訳なのかさっぱり分かりませんが、読者の皆様方におかれましては学校や会社または家庭内にて「昨日のけきぺろ見たー?」という風に、唐突にけきぺろという単語をご活用いただくことにより、謎の話題を振り撒く怪しい人物として馴染めない社会の中でより一層の疎外感を味わっていただけますと幸いです。
そんなこんなで私の投稿もこれで21記事目という中途半端な数になりまして、共同ブロガー全員分合わせますと総投稿数40を超えました。うち21が私って事は、約半分は私って事ですね。
投稿数が多いから偉い訳でも何でもなく、リーダーだから皆より投稿数を増やすよう心掛けている訳でもなく(そもそもリーダーですら無い)ここで唯一はっきり言える事があるならば3人の中で一番暇人という事だけです。
嬉しかった出来事
それどころか、最近では主に私がブログ記事を投稿するタイミングで「読者が減る」という怪奇現象まで起きる始末。
なんですけども
先日その事をツイッターでこのようにこぼしたところ
なんとこんな反応を返して下さる方が現れました
『鴨おじさん(自称変態)』様から賜りましたお褒めのお言葉です。
あと鍵垢なので詳細には公開出来ませんが
『読む側からしてみれば普通のヒトが去っていくのであればむしろ喜ばしいことだと思ってる』
というような、もはや読者の域を越えた相撲部屋の後援会会長のような有難きお言葉をくださった方もいらっしゃいました。
このように、減ってゆく読者と反比例するかの如くマニアック思考で当ブログの更新を楽しみにして下さる方も現れまして大変嬉しい限りです。
今後とも、はてな読者の中で数少ない「無益記事」を欲する層をターゲットとし、読者様の人生の貴重な時間を無駄にするだけの記事を量産して参る所存で御座います。宜しくお願い申し上げます。
という事で、今回も良い塩梅に全く内容の無い記事が出来上がったところで失礼させていただきます。
以上です。
神話・伝説・神様にツッコミ ~旧約聖書 ノアの箱舟編~ 神様、失敗多すぎやしませんかね?
どうも、生きる伝説カメノセタロウです。あ、間違えました、生きる屍です、カメノセタロウです。「でんせつ」と「しかばね」は語感が似てるから言い間違えるのは仕方ないね。ね?
さて、私は神話なるものがすきです。神話、それはちょっぴりの歴史的事実の断片にありとあらゆる添加物を加え、かき混ぜ、最終的に「何が言いたいんやお前」状態になっておったりするものです。
そんなことで、今回は皆さんご存知の神話、と言ったら熱心なユダヤ教徒とキリスト教徒に怒られるかもしれませんので、皆さんご存知の説話「ノアの箱舟」を紹介がてらツッコミを入れたいと思います。
肉食動物のエサはどうしたのか気になるお話しでもありますね。
多くの方の知っているノアの方舟のお話しはこんなものだと思います。
「神は激怒した。必ずや、かの暴虐な人間どもを滅ぼさなければならない、と決意した。しかし、そのような人間の中にあって、行いの正しい者がいた。名をノアと言った。神は、大洪水でこの世のものを全て滅ぼすことをノアに告げ、ノアの家族とすべての動物を一つがいづつを載せる船の建造を命じた。ノアは神の言葉に従い、船を作った。はたして、嵐が起こり、大洪水がやってきた。ノアは家族とすべての動物を一つがい船に乗せた。長い時間のあと、やがて、嵐が止み、ノアが放った鳥がオリーブの木の枝を咥えて帰ってきた。大洪水が終わったのだ。そして、人類は再生する fin」
既にツッコミたいところがあるかもしれませんが、落ち着いて落ち着いて。まだ早い。まあ、基本的には「ああ、こういう話だったわ」的な同意を得られる内容かと思いますこれ。では、実際には聖書にどのように書かれているのでしょうか、さあ、読んでみますよ。
ノア、誕生
レメクは百八十二歳になって、男の子を生み、「この子こそ、主が地をのろわれたため、骨折り働くわれわれを慰めるもの」と言って、その名をノアと名づけた。
『旧約聖書 創世記 5・28-29』
おっけー、落ち着け。まだ早い。まだツッコむ時間じゃない。もうちょっと焦らそう。ノアのお父さんは、182歳でノアを産みました。ちなみに、ノアのお父さんが死んだのは777歳の時です。日本の物も含め、世界各地の昔からの伝承では、人の寿命が異様に延びることはよくあることです、キニシナイキニシナイ。気になる人は、90%オフしておけば、「18歳で子を産んで、77歳で亡くなった」ってことで、まあ、違和感少なくなるかも。
さて、ノアの方舟の主人公、ノアさん。その幼少期はどんなお人だったのでしょうか?聖書にはどのように書いてあるかと言うと・・・。書いてない。はい、まったく書いてない。聖書に書かれているノアの年齢が分かる最初の事跡は子作りです。いきなり子作り。仕方ないね、この神様、人を増やすの大好きだからね!それと同じくらい人を殺すのも好きだけどね!
『旧約聖書 創世記 5・32』
はーい、騒がなーい。はい、皆さんが静かになるまで先生3分待ちました。もう、年齢の事にはツッコまないって約束したでしょ?それにさっきも言ったでしょ?年齢のことが気になる人は、年齢を90%オフしましょう。そうするとあら不思議、違和感が・・・50歳で子供を産むのは、医療の発達した現代でおいてもちょっと違和感ありますね、ハイ。
この後の聖書の記述は、たいていの「絵本 ノアのはこぶね」的なものでは省かれている部分ですし、ツッコミどころも多いのですが、軽く触れるだけにしておきます。深く突っ込むと大火傷しかねないからね!
人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとったそこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
『旧約聖書 創世記 6・1-4』
なんかー、神の子がいてー、それが人間の女性が美しいからって、欲情して子供まで作らせたらしいよ!的なことは置いといて、今回少し注目したいのは「そのころも、そのあとも地上にはネピリムって有名な人々がいた」ってとこ。この人たち、ノアの方舟に乗った描写がないのよね。神は「地上の生き物は方舟の乗ったやつ以外ぜーんぶ皆殺しにしてやったぜ!!」宣言をするのですけど、ネピリムも生き残ってんのよね、フシギダネ?
神の子に関しては、なぁに?ってのは火傷しそうなので口をつぐんで次へ行きましょう。
ノアはどんな人だったのか。
これは、比較的多く語られております。
ノアさんは、正しい人だった!
ノアの系図は次のとおりである。ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
『旧約聖書 創世記 6・9』
主はノアに言われた、「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである。」
『旧約聖書 創世記 7・1』
ほら、神様も認めてる。ノアは(この時代限定で)正しい人!そして、ノア以外は正しくない人!
大いなる巻き添えの巻
聖書によれば、その時代は地上は乱れていて、悪い人ばかり。そこで神様は決意します。
主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。『旧約聖書 創世記 6・6-7』
そこで神はノアに言われた、「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう。『旧約聖書 創世記 6・13』
わたしは地の上に洪水を送って、命の息のある肉なるものを、みな天の下から滅ぼし去る。地にあるものは、みな死に絶えるであろう。『旧約聖書 創世記 6・13』
おっけー、分かる。分かるよ。人が悪いことばかりしてたから、人を造ったのを後悔しちゃったんだね、神様。分かる、分かるよ。悪いことした人間には罰を与えないとね!「お前、全知全能なんやろ。なんでこんな中途半端なモン造って失敗しとんねん。全知全能やったらもっと完璧な仕事せえや、そもそもアダムとイブの時点でお前失敗しとるやんけ、なにいきなりリンゴ食われて怒っとんねん。作られた側やなくて作った側の責任やろこれ。」とか思わないよ、分かるよ神様、人間が悪いんだね、悪いことばかりするんだね?
で、なんで他の生物も皆殺しにするの?
ちょっと僕には理解が追い付かないんですけど、神様・・・。他の生物が悪いことしたなんて、一言も書いてないんですけど、神様。あまりにも酷い巻き添えじゃないですかね。結婚式にテロリストが一人出席していたから、結婚式場にミサイル打ち込んどいた的な酷さを感じるんですが神様。
方舟にはどんだけ収容できたのか
さて、人がみんな汚れてるから実行される、大洪水による地上の生命絶滅計画(魚は?魚は許されるの?ねえねえ)ですが、神様は恵みの深い人。せっかく作った命を絶滅させようだなんては思ってません。ノアの家族と、動物の雌雄を助けてくれます、やったね!(カタツムリなどの雌雄同体の生物や植物はどうなったの、ねえねえ)
さて、その船の大きさですが、聖書によれば
その造り方は次のとおりである。すなわち箱舟の長さは三百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトとし、箱舟に屋根を造り、上へ一キュビトにそれを仕上げ、また箱舟の戸口をその横に設けて、一階と二階と三階のある箱舟を造りなさい。『旧約聖書 創世記 6・15-16』
うんわからん。
三階建てで、長さが150m程度、幅が20m程度、高さは15m程度らしいです。キリンでも5mくらいの身長なので、大丈夫ですね。クジラとかに関しては考えたら負け。
では、これらの動物を一種につきどれだけの数を船に乗せたのか。私たちが耳にした話では、「各種雄雌二匹のペアを載せた」ってのが多いかとは思いますが、聖書では。
すべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二つずつを箱舟に入れて、あなたと共にその命を保たせなさい。それらは雄と雌とでなければならない。すなわち、鳥はその種類にしたがい獣はその種類にしたがい、また地のすべての這うものも、その種類にしたがって、それぞれ二つずつ、あなたのところに入れて、命を保たせなさい。『旧約聖書 創世記 6・19-20』
記憶力の勝利!
あなたはすべての清い獣の中から雄と雌とを七つずつ取り、清くない獣の中から雄と雌とを二つずつ取り、また空の鳥の中から雄と雌とを七つずつ取って、その種類が全地のおもてに生き残るようにしなさい。『旧約聖書 創世記 7・2-3』
なんかさっきと言うてること微妙に違くない?
ノアの方舟を扱った映画や小説絵本やお話しでは、たいてい先述の「二つずつ」説の方がとられておりますが、二つ目の説をとるならばゾウやキリンなどは清い動物に数えられたのか、清くない動物に数えられたのか気になるところですね。合理化するならば、一回目に清くない動物のことを言って、そのあとで清い動物に関しても告げたってことで矛盾なくすっきり!できるかな。
ちなみに、なぜ清い動物は多く載せて貰えたのだと思いますか?ちょっと考えてみてくださいませ。
正解は。
洪水が終わった後、神様に捧げる生贄(いけにえ)とするため、でした!
正解した方いましたかね?拍手~!
神様のここまでのおこない。
- 人間悪いから一家族以外全部殺そ☆
- 人間以外の生き物も巻き添え食うけどまあしゃーない☆
- 清い動物は少し多めに生き残らせよ、ワシへの生贄にするために☆
さすが、全知全能。
長くなったのでその後の要約とツッコミどころ
さて、その後、雨が降り大洪水がやってきます。ドンブラコドンブラこと浮く方舟。やがて、雨がやみ、洪水も終わります。ノアは清い動物を焼き、神様への生贄とします。ここまでようやく生き残れたのに、清い動物ちゃん・・・。神様は生贄にご満悦、生き残った人類にこう約束します。
神様の約束☆
- もう、地上の生命を洪水では滅ぼさない。洪水では。
- 人間が原因で、地上の生き物を滅ぼしたりしない!もう二度と!
やっぱり、人間が原因で他の生き物まで巻き添えにしたこと、少しは気にしてはったんかな・・・。
他にも「血の滴る生肉は食ったらあかんで、食うたら報復するで」「産め、増えろ、地に満ちろ」とか言うてたりします。どさくさに紛れて、血の滴るレア肉禁止されてます。
洪水が終わり、再び地上の生活に戻った人類、この時ノアさん600歳。はい、年齢のことを気にするの禁止。600歳のノアさんは働き者です、ブドウ畑を作ります、ワイン飲みながら。さすが神が認めた男、生き残るにふさわしいお人ですわ。少し酔ってしまったわ、と全裸でテントの中で寝てたら、その姿を三人の息子セム、ハム、ヤペテに見られてしまいます。600歳の裸体、どんなもんなんでしょうかね。ノア父さんご立腹。
彼は言った、「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」。『旧約聖書 創世記 9・25』
え、カナンって誰?
カナンとは、ハムの息子です。ノアの息子の一人がハム。そのハムの息子がカナン。
はい、一度整理しましょう。
かなんなー。なにこれ。カナンとばっちりもええとこやん。さっき神様「もう人間のせいで他の生物まで滅ぼすんやめるわ」ってとばっちりせえへんゆうてたのにすぐこれやん。なんなの?カナン君泣いてるで?
ちなみに、聖書に書かれてある「裸を見た」ってのは、「レイプした」と言う意味だという説もあります。だとすると。
600歳のお父さんを見て欲情した息子、父をレイプする。怒ったお父さん、孫を呪う。
老人好き、ゲイ、レイプ、近親相姦。いろんな要素が混ざりすぎ、ツッコミが追い付かない。
カメノセタロウ的、ノアの方舟説話ツッコミ。
- 100歳過ぎても子供は作れる!
- 神の子が人間の娘と子作りしてるけど気にすんな。
- とばっちりは世の定め、気にしたら負け。気にしなかったら奴隷か滅亡。
- 魚とか水生生物のことは気付かないふり。
- 清い動物は多く生き残らせてもらえるよ!生贄にするためにな!
- 600歳のお父さん超セクシー。
さて、聖書によれば、人類は全てこのノアの一族の子孫になるわけです。船に乗った人間は8人でしたので、それからずいぶん増えましたね、人間。まあ、これだけ大きな罰を神様から与えられたら、もう人間は悪いことしないよね、メデタシメデタシ!ってところで今回の記事を終わらせたいと思います。
あ、余談ですが、このノアの方舟の次に書かれているお話しは、『バベルの塔』です。
もう悲劇なんて起こらないはずさ!
メデタシメデタシ。カメノセタロウでした。
槇原敬之さんの事が好きな理由 〜赦されることと赦すこと〜
みつまりです。
そしてなんと、この人が槇原敬之さんです。
今日は真面目な記事を書きます。
誰に期待されている訳でもないのに「真面目な記事を書きます」とあえて宣言するあたり、普段いかに真面目に記事を書いていないのかがよく分かりますね、本当に有難うございます。
そうです、私はとりあえず「有難うございます」と言っとけば全てがゆるされると思っています。
これは私が仕事等で嫌いな上司や先輩から理不尽な叱られ方をした時の対処に苦労した果てに行き着いた究極の処世術。
『下手に反論や謝罪して説教タイムを冗長するより「ご指導有難うございます!」と言っといた方が話切り上げ易いし相手の機嫌も直りがち』説です。
「処世術」と前置きしておきながら「説です。」でしめるって意味不明にも程がありますね、本当に有難うございます。
あ、誤解なきようお伝えしておきますが、あくまで理不尽な場合が前提ですよ!
本当にこちらに改める必要がある場合、また、尊敬できる上司や先輩方がご指導くださる場合には誠実に傾聴の姿勢で臨みます。
しかし、ただの八つ当たりとか謎のクレームを仕掛けてくる者どもというのが一定数この世には存在します。
あと数か月で退職予定にもかかわらず「立つ鳥跡を濁さず」のことわざを連発しながらコイツまじかと思う程跡を濁したうえにまさかの飛び立つ事すらしなかった人に遭遇した事があるのですが、そのような人はもう色々とアレなので大体「有難うございます」リピートで時短ライフハック
なので、会社などにそいつの末代まで不幸になればいいのにとつい願わずにはいられないくらい嫌いな上司や先輩がいる人は是非試してみてくださいね!
明日から日本中で全然感謝の気持ちがこもっていない感謝の言葉が飛び交うのを楽しみにしています。
と、さっそく冒頭からごっそり話が逸れました・・しかも怨念がこもってしまいましたすみません戻ります。
ここから真面目なお話
さて、槇原敬之さんと言えば、下の記事にも書いたように、私がファンクラブに入会している程好きなアーティストの1人です
↑こちらの記事には槇原敬之さんの事を好きな理由として『ほぼほぼ日本語でJ-POPの王道中の王道だから』と書きましたが、実は、槇原敬之さんは英語の歌も歌います。
ご自身はどちらかと言うと洋楽の方が好きなのかな?と、自分の数少ないマッキー知識で想像してますが、違ったらすみません。
なんせもう25年以上芸歴のあるかたで、ずっと第一線にいらっしゃるので、ファンクラブ歴数年の私のお話しする事は、デビュー当時からずっと応援している方から見れば(お前に何がわかるんだ)という感じかとお察し致しますが、何卒(新米ファンなんだな)と、温かい目でご清覧頂けますと幸いです。
トップランナー
私がファンクラブに入ったのはほんの数年前ですが、槇原さんの楽曲は私の若い頃から普通にずーっとヒットソングとして世に出ていたので「当時の流行りの歌」の中の1つとして常に聞いておりました。
『どんなときも』とか
『もう恋なんてしない』とか
『冬がはじまるよ』とか
『北風』とか
テレビをつけたらいつも流れていて、自然に耳に入ってきていたと言う感覚
思い返してみれば、槇原敬之=冬の歌を歌う人というイメージでした。
ちなみに共同ブロガー高木よーへいくんはこの頃まだ生まれてません。
これがまだ産まれてなかった高木よーへいくん。立派な大人になりました。
思いは突然に ~参戦コンサートの記録~
私自身が音楽を聴く余裕のない時を長年過ごしていた為、暫く槇原敬之さんの楽曲からも離れていたのですが
ある時何かでふと「槇原敬之さんの楽曲をフルオーケストラアレンジで聴ける(もちろんご本人が歌う)コンサートがある」という情報が目に止まり
DVDを購入して見てみたらとても良くて「これは是非行ってみたい!」と。
そして、2010年に念願の
"cELEBRATION 2010" 〜Sing Out Gleefully!〜でコンサートに初参戦
それからまた暫く間が空いてファンクラブ入会。
"Lovable People"(2015年コンサートツアー)
"cELEBRATION 2015"~Starry Nights~(2015年年末開催)
"Believer"(2017年開催)
計4回のコンサートに参加して、現在に至ります。
槇原敬之さんの歩み
槇原敬之さんの魅力は、王道J-POPキングという以外にもう1つ、いや、幾多もあるのかも知れませんが、特筆したい部分として1つとても大きな事があります。
槇原さんには過去に一度、活動休止せざるを得ない時期がありました。
当時の私は、ただただ
(なんか有名な歌手の人がニュースになってるなー)
という感覚のただの傍観者で、でも
(なーんか随分面白おかしく書かれてるなー)
という事を、当時それほど興味の無かった私でも覚えているくらいという事は
それほどまでにセンセーショナルな?おもしろおかしい?表現で報道されていたのだろうと想像します。
そして何だかんだで時が過ぎまして
気が付いたらSMAPの『世界に一つだけの花』が大ヒットしてました。
ファンの人は「いきなり時系列がぶっ飛んだ(笑)」と思われるかと思いますが、当時の私の関心はそれ位だったのです、ごめんなさい。
それからさらに時が経ったこの10年以内で、彼の過去や、それらとは別の側面である彼の生き辛さを知りました。
いや、別にご自身から聞いた訳でもないただのネットの情報ですけど…
『軒下のモンスター』という曲が素晴らしい
ちなみに、ご紹介したい曲は本当は沢山あるのだけれど
今日は特にこの曲の事を伝えたくて記事を書いています。
『軒下のモンスター』 2011/09/20
『軒下のモンスター』は、恐らくですが特定のマイノリティの人達に捧げられているように聞こえてなりません。
マイノリティの私達
この曲を知った時の私は既に
友人のピー(ピーについては以下を参照ください)
それ以外にも、いわゆる社会的に「少数派」とされる人達との沢山の出会いに恵まれ自分自身も「少数派」である事に気付き『彼らと共に生きる道』を選択していました。
そして『少数派で生きるという事』に対する世間の冷たさ、風当たりの強さ、マイノリティに対する偏見や無自覚に発せられている心無い言葉の数々を、この目で耳で、これでもかという程に体感してきました。
ですので、槇原さんの歩んできた道のりを辿ってみた時も、そしてこの曲を聞いた時にも、心が揺り動かされたのだと思います。
赦されること赦すこと
だから
様々なアーティストのライブの中でも特に槇原さんのコンサートは楽しいとかかっこいいとか生歌はやっぱり良いなーとか、勿論それも多分にありますが
それだけでは無いものに触れられる気がするのです。
彼の満面の笑みと柔らかな声色とバックバンドの音色に包まれていると
なんだかまるで
全ての事象から護られているような、見守られているような・・・
僕はあなたを赦すよ、赦しているよ
僕も、僕を赦せなくて、誰かを赦せなかったんだ
でも僕は今こうしてあなたの目の前にいるよ
だから、あなたも大丈夫だよ。
そんな風に言ってもらえている気持ちになるのです。
だから、ステージの槇原さんはにこにこ微笑んでいるのに、私の目からは止め処なく涙が溢れてくるのです。
真実は分かりません、槇原さんはそんな事考えていないかも知れない。
でも、そんな世界観に触れたくて、また逢いに行きたくなるのです。
そういえば、今年のライブでは、開演前に『僕が一番欲しかったもの』という曲のストーリーがリアルに目の前で起きたかのような、本当ににわかには信じられない奇跡が起き、まさかの4列目から観覧する事が出来たのですが・・・
これを話し出すと、記事がとんでもない長さになりそうなので、この続きはまたいつか聞いてやってください。
*2017/12/27 追記:4列目の奇跡について書きました*
さいごに
大好きな槇原敬之さんの事を記事にする機会に恵まれたのに、冒頭から怨念の拭いきれない話に脱線してしまった事を悔やみつつ・・(でも書き直さない)
最後まで読んでくださった方がもしいらっしゃったなら、最後までお付き合いくださりありがとうございました(←これは本当の感謝の気持ちの方です)
以上です。
『残酷な天使のテーゼ』の歌詞が何言ってるか分からないので分析する
こんばんは、みつまりです。
邦楽の中でも洋楽並みに「何を言ってるのか全然わからない」けどなぜかカラオケとかですごく盛り上がる曲といえば
新世紀エヴァンゲリオンの『残酷な天使のテーゼ』ですよね。
テーゼがもう何なのかわからない。
ここにきて真面目に学校の授業を聞いていなかった事のツケが回ってきたという事でしょうか。
とか言って過去を悔やんでいても無駄に時間が過ぎるだけなのですみやかに分析します。
残酷な天使のテーゼ 歌詞
えーと、基本的に全部わからない。
一つずつ分析していたら多分永遠に終わらないので一部抜粋でお送りしたいと思います。
テーゼとは
【質問】
新世紀エヴァンゲリオンの主題歌残酷な天使のテーゼの「テーゼ」の意味を教えてください
【ベストアンサー】
テーゼ=Theseでドイツ語です。
「肯定的に主張すること。そうする為の判断・命題。」 となりますが、元が哲学的な言葉ですのでそれなりの知識が無いと理解でき無いかもしれません。
14年前に答え出てました
『 残酷な天使の命題』との事です。
ちなみに別の回答者が「天使の方針と言う意味でしょうか?」と答えていますが、多分命題です。なぜなら天使の方針より命題の方がかっこいいからです。
真実と誤情報の錯綜が当たり前のインターネットでは、情報の取捨選択はこのようにして行うのが良いと思います。
ところで命題とは一体・・・?
【命題】
goo辞書より引用
なるほど、命題とは題号の事だそうです。
ところで題号とは一体・・・
【題号】
書物などの題目。新聞の名称。表題。
goo辞書より引用
命題とは題号の事であり、題号は表題の事である。
すなわち残酷な天使のテーゼは残酷な天使の表題という事ですね。
☆1つ解決☆
残酷な天使のテーゼは残酷な天使の表題である。
Bメロ:もしもふたり逢えたことに~バイブル
『もしもふたり逢えたことに意味があるなら私はそう自由を知るためのバイブル』
というのはつまりどういう事ですか
どれが主語でどれが熟語ですか(←熟語て…述語の間違いです(投稿翌日に気付いたけどもう時すでにお寿司じゃなくて遅しなので残しときます))
「もしもふたり逢えたことに意味があるなら」までは分かります
出会った2人がいるのでしょうね。
そしてその事には意味があるのかどうか?と問うています、自問自答ですね。
そしてさらに、意味があるなら・・・ならば、何なのかというと
「私はそう自由を知るためのバイブル」
自由を知るためのバイブル
自由を知るためのバイブル・・・
バイブルは自由を知るためにあるそして「それが私である」と、この歌詞は宣言しています。
だんだんややこしくなってきたので整理していきましょう。
私は基本的にはバイブルである。
そして何のバイブルかというと、それは「自由を知るため」のバイブルである。
『自由の手引き』みたいな事でしょうか。
ただ、私が「自由の」手引きである事には条件があり
それは『もしもふたりが逢えた事に意味があった場合』にのみ、自由の手引きである。
という事なので
ちょっとプログラミング的に言うと
私 = "手引き";
if(2人が逢えた事の意味 == ある){私 = "自由の" + 私;
}
みたいな感じでしょうか?
さらにこれをExcel関数的に言うならば
=IF(2人が逢えた事の意味 = ある,"私は自由の手引き","私は手引き")
でしょうか。
これ以上考えると私の熱いパトスがほとばしりそうなので、今日はこの辺で!
以上です。