ケーキをペロペロする奴は大体友達

ケーキのフィルムをペロペロする奴は大体友達

ノーインターネットノーライフ 言うてますけど

木島英登氏を『プロ障害者』と揶揄している人達へ。

 

どうも、身体的には健常者のみつまりです。

今日は私の番ではないのですが、異議申立てに参りました。

普段の無益記事バージョンじゃない方でお送りします。

 

本日のお題『プロ障害者』

先日、このような記事を目にしました

www.asahi.com

 

その翌日、こんな記事を目にしました。

netgeek.biz

で『はて・・・?』となったのでこちらに参上した次第で御座います。

 

 

 

事前連絡なしで飛行機に乗るのはわがまま?

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【記事より一部抜粋】

事前連絡が必要と分かっていても無視する
トイレに行くのが面倒なので座席で用を足す
スタッフの注意を無視して暴走する
自分の思い通りにいかないと権利団体に申し立てると脅す
などと極めて自己中心的な行動が目立っていた。
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極めて自己中心的な行動が目立っていた。

と言いますけども・・・

皆さん考えてみてください

 

私を含む、身体的に健常者の人は

『バス電車飛行機フェリータクシー等々に乗る際または乗り換える際降りる際に、いちいち事前連絡の必要が無い。』

『移動中の車内や機内でトイレに行く時、いちいち移動する為の器具を誰かに持ってきてもらう必要も無い。』

 

まず健常者は普段の生活において

自分の権利を侵害されるような出来事に遭遇する事が無い

だから健常者は

『権利団体に申し立てるという感覚が分からない』

 

公共・民間の交通機関を利用して移動する時や

トイレに行く際に、車掌やCAから

「トイレに行く時は一声かけていただかないと困ります!」

「電車に乗る時は先に連絡してください!」

という旨の注意を受けた事のある健常者っているでしょうか?

 

私が普段利用している南海電車は数年前にかなりの数の駅が無人化されたのですが

駅に駅員がいなくなった事により、電車に乗る時に簡易スロープが必要な車椅子利用者の人は、スロープを設置してもらうために電車に乗る際には改札についてるショボい電話で隣の駅から駅員をわざわざ呼び出し、隣の駅から駅員が来るまで何台も電車を見送りながら30分近く待機しなければならないそうです。

 

例えば東京や大阪の公共交通機関を利用する際「全ての人が事前連絡必要」になった場合、どうなると思いますか?

 

健常者の私達は勿論不便ですが、おそらく交通機関は毎日何百万人の人の乗車連絡を受けて管理しなければなりません。すごく大変です、朝のラッシュタイムなんて地獄。

「なぜ毎朝の通勤の為にわざわざ事前連絡しないといけないんだ!」

「仕事終わった後の付き合いの飲み会だって、打ち合わせの為の移動だって、何時になるか分からないのに事前連絡が必要なんて不便すぎる!」

電車が数分遅れるだけで駅員に怒りをぶつける人がいる現代なので、前述したようなクレームが出る事は間違いないでしょう。

要するに今の世の中の殆どは健常者目線で形成されているシステムですよね。

 

翻って、スロープを利用する障害当事者は健常者に比べると人数が圧倒的に少ないので「イレギュラー」として扱われています、しかし障害当事者にとっては『通勤の時も打ち合わせの移動も飲み会の帰りも毎回事前連絡が日常』です。

「ちょっと寝坊したー!でもギリギリ次の電車なら間に合うから急いで用意しよう」という事も

「今朝は早く起きたし雨も降りそうだから10分早いけどもう出ようかな」という事も出来ない訳です。

 

現代は昔に比べればマシにはなったのでしょうが、同じ行動一つとっても健常者の生活と比較するとまだまだ障害当事者には不利益な事が多すぎるのです。


クレーマーだ」と批判する人が健常者なのかどうか知らんけど、もし健常者であるならば「プロ障害者といわれるならそれでもいい」という木島氏とは現在立っているフィールドが全然違うのです。

 

 

数年前の乙武洋匡氏飲食店入店拒否問題

数年前に乙武洋匡氏が飲食店で不利益を被った事をSNSで拡散した時も「クレーマー」批判を受けていました。

matome.naver.jp

障害当事者が権利を主張し
その影響力の大きさが社会の圧力を上回っているように感じた時
世間はその当事者を「クレーマー」と呼ぶように感じます

 

要するに障害当事者が声を上げて不利益を被った事実を主張し

『その権利が通りそうな時』

 

【社会的弱者>社会】の図式が見えた時ですよね

 

 

 

考えよう『弱者の声、普段から聞く気、ある?』

でも、考えてみてください

 

そもそも健常者は普段の生活の中で
障害当事者の生活の不便さにすら気付けないのだから

この図式が成り立たない限りは

社会的弱者の声に耳を傾ける機会に触れる事もない

誰も耳を貸さなければ権利が通る事なんてない

諸々の社会生活において困っている障害当事者が存在している事すら知り得ない。

 

それが現在の社会の現状でしょ?

 

誰だって普通の声量でちゃんと届くならわざわざ声を大にはしないでしょ。

だから仕方なく誰かが叫ばなければならないのだと思います。

それをクレーマーと言ってしまったら救われるものも救われない。

 

 

 まとめ

少なくとも個人的には、木島氏の『トイレに行くのが面倒なので座席で用を足す』という行為は、好んでしているのだろうなとは思いませんが、もし木島氏に(そういう事をしたらお金を稼げるぞ)という思惑があったとしても

障害者が座席で用を足してそれで何やかんやでお金が稼げるという社会の図式自体がおかしいじゃないですか。

 

木島氏を「プロ障害者」と揶揄し、それで金を稼ぐ様子がもし気に入らないというならば

 

『プロ障害者と呼ばれる人が、日常生活に異議を唱えるだけで稼げる時代がなくなれば良い』

のではないでしょうか?

 

私を含め、普段から当然の様に利便性の恩恵を受けている健常者である人は、この様な事象をクレーマーで片付けずに真摯に受け止めるべきではないかなと、この一連の記事を見て感じた次第です。

 

 

 

 

以上です。