モモタロウ異聞。
以前みつまりが投稿していた『実刑 桃太郎』が個人的に面白かったので、私も『桃太郎』の二次創作をせんとするなり。
みつまりのはこれね↓
モモタロウ異聞 モモタラズ
特定は勘弁な。
ちょっと特定とか怖いから具体的なことは言えないんやけど、まあ、そんな前でもないんやけどね。あ、言うてもそんな最近ちゃうで、ちょっとそんな探るような目つきは辞めてや。まあ、昔々ってことにしとこか。それでな・・・って場所言うたら、そんなん特定一発やんか、危ない危ない騙されるとこやったわ、もう怖いなあホンマに油断も隙もあったもんやないで、まったく。てなことで場所は言えんのやけど『あるところ』ってことにしといてホンマに頼むで・・・って、うわッ、もしかしてもう分ってもうてる?え、嘘やそんなんこれ分かってるやろ、アカンで騙されへんで、アンタのその目付き、分かってるって目してるもん!無し無し、この話しはもう終わり~!
ー完ー
おじいさん、おばあさん、桃、登場。
桃、到達せず。
昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがおりました。ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯へ行きました。そのころ、川の上流にある立派な大きな桃の樹に、丸々と太った桃の果実が実っておりました。まさに今食べ頃の桃はその重みから枝を大きくしならせておりました。時はまさに今!桃は枝を離れ空中へ、そして地面へとドスンと落下しました。地面へと…。
ー完ー
桃、到達す。
おばあさんが川で洗濯をしていると、川の上流から桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました。
おばあさん「まあ、なんと立派な桃が川を流れていることでしょう」
桃はどんぶらこどんぶらこと川を流れてゆきます。
おばあさん「これも何かの良い予兆かねえ。ありがたやありがたや」
桃は流れるスピードを緩め、どんぶらこどんぶらこ。
おばあさん「さて、それじゃあ洗濯に戻るとするかねぇ」
桃は川の流れに逆らいおばあさんの近くへと寄ってきました。
桃「どんぶらこ!!!どんぶらこ!!!」
おばあさん「あらあら、せっかく流れていたのに。ほおら、下流の人にも姿を見せておやり。それじゃあ、わたしゃ家へ帰るとするかねぇ」
桃「どんぶらこ…どんぶらこ…」
ー完ー
ご一緒していいですか。
桃は川の流れに逆らいおばあさんの近くへと寄ってきました。
おばあさん「あらあら、桃が近寄ってきたせいでお洗濯ものができんわい。ちょうどええ、ここいらでお昼ごはんにするかいなぁ」
と、おばあさんは川辺でお昼ごはんにしようとすると
ザパァ
桃「あ、自分もお昼ご一緒させてもらってイイっすか?」
ー完ー
追うもの、追われるもの。
上流から流れてきた桃を見て、おばあさんは閃きました。「この川の上流にはたいそう立派な桃の樹があるに違いない」と。思うが早いか、洗濯物をその場に置き去りにして、上流へと向かうおばあさん。その姿はおばあさんと言うにはあまりにも似つかわしくない、若々しい姿でした。「今夜は桃パーティーだ!!」。もちろん、桃も負けてはいられません。ここで負けては桃の名が廃ります。ここで俺が負け、他の桃まで馬鹿にされるのは真っ平ごめんだ!トビウオのごとく川を遡りおばあさんを追います。背後に迫る桃の息遣いを感じつつ走るおばあさん。追う桃。ある時は急流を。ある時は滝を駆け上がり、桃とおばあさんは行きます、桃の樹を求めて。そう、二人の旅は、今始まったばかりなのです。そして、その後二人の姿を見た者はいませんでした。
ー完ー
桃、海へ。
社会派、桃。
おばあさんが川でおじいさんのワイシャツの襟の汚れ落としに熱中していると、川の上流から桃がどんぶらこどんぶらこと流れて来、そして下流へと流れ去ってゆきました。ももは、どんぶらこどんぶらこどんぶらこと川を下り、やがて広い河口を経て海へとたどり着きました。はてなき世界の海をどんぶらこ。ある時は、難民を乗せた船と並走してどんぶらこ。ある時は流出した油にまみれ、飛べなくなった海鳥とどんぶらこ。またある時は、軍艦が行き交う争いの海を、どんぶらこ。東に病気の海があれば、どんぶらこと行って看病してやり、西に疲れた海があれば、どんぶらこと行って背負ってやり、南に死にそうな海があれば、どんぶらこと行って怖がらなくて良いと言ってやり、北に争いの海があれば、どんぶらこと行ってつまらないからやめろと言い。雪の降る冬も、日照りの夏も、桃は今日もどんぶらこどんぶらこと世界の海を駆け巡るのでありました。
ー完ー
元祖
海へ下り、数年もの間、世界を旅した桃は、やがて故郷が恋しくなりました。「そうだ、故郷へ帰ろう」桃の頭がどこなのかは当然分からないけれども、桃の頭にそんな考えが浮かんだのも当然だと言えます。桃は、故郷の川へ。数年ぶりの故郷、おばあさんはまだワイシャツを洗っています。何もかもが懐かしい故郷。川の流れに逆らい、浅瀬を越え、滝を棒高跳びの要領でクリアし、桃は帰り着きました、故郷へ!
こんにち、鮭が故郷の川に戻るのは、この桃の里帰りを見た魚が真似たものが始まりだと言われています。その証拠に、鮭の身は今も桃がピンク色なのと同じようにピンク色なのです。
鮭の雑学 ー完ー
以上、桃太郎の登場しないモモタロウ異聞 モモタラズでございました。
最後に、桃太郎実写化映画の嘘広告的なものを書いて終わりにいたします。
MOMO太郎 The movie
鬼ヶ島に流れ着いた桃から生まれたモモタロウ。鬼と平和に暮らすモモタロウに迫る鬼婆の影ー モモタロウは要らない、財宝を寄こせ!
その時、サルは!?キジは!?イヌは!?それぞれの未来を拓く選択ー とは
驚愕のドキュメンタリー。鬼婆は実在する!今も、この世界のどこかに ・・・
ワトンシン ポスト「ドキュメンタリーとは信じられない、財宝の燃えるシーンは圧巻の一言」
ニューヨーク タムイズ「このような鬼婆が実在するなんて。日本の警察はどうなっているのか」
芝刈り爺さん「お得なキビ団子付き鑑賞券で、日ごろの家事のつらさを忘れて見入りました。戦闘シーンでは、年甲斐もなく手に汗握り鬼を応援しましたが・・・。おっと、ばあさんが帰ってくる前に川で洗濯しとかないと、それじゃ!」
それでは、おあとがよろしいようで。
『吾輩は猫である』を読んだ事のない私が、吾輩は猫であるを創造する。
吾輩は猫である、名前はまだ無い。
だが、諸説はある。
「猫」という名前である説
「まだ無い」という名前である説
先程「吾輩は猫である」と自己紹介をしたが、実際は犬なのかも知れないという説もある。
吾輩は「そうせき」と名乗る男と生活を共にしているのだが
先日、彼の知人らしき者が我が家に訪れ
彼に対して「この負け犬が」という様な事を述べていた。
そうせきと吾輩は恐らく同じ種族であるから
そうせきが犬であるのなら、吾輩も犬である。
よって、吾輩は犬である。
とは言ってみたものの、それもこれも先述した事柄から推測した仮説に過ぎない。
なので、犬である。と、仮定して話を進める事にする。
犬である吾輩は、冒頭の「猫」に関して以前から気に掛かっていた事を話したい。
猫であると自己紹介はしたものの、実際のところ吾輩はそうせきと同種族であるゆえ
吾輩とは似ても似つかぬもう一つの方の猫、あの「全身に毛が生えている四足歩行のしなやかな生物の方の猫」の事である。
愛されている猫、人間と共に暮らしている猫の事を漢字では『愛猫』と書く。
これは「あいびょう」と読むのが正しいとされているが
10人中6人は「あいねこ」と読んでいる可能性が濃厚である。
これには諸説ある。
例えば『日常茶飯事』
これは、正しくは「にちじょうさはんじ」と読むが、吾輩は「にちじょうちゃはんじ」と言っている者を何度も見かけたことがある。
あと『相殺』
こちらも正しくは「そうさい」であるが「そうさつ」と読む者が少なくない
というか、これに関しては「殺」と書いてサイと読ませる方が無理があるように思う。
この「殺」を「サイ」とする事で生じる誤読と同様に
猫という字を「ビョウ」とする事も、些か強引すぎるのではないだろうか。
もしくは、古来は「猫」をビョウと称す事が基軸とされていたという説も拭えない。
冒頭で「吾輩はビョウである」と自己紹介した方が良かったのかも知れない。
などと、今となっては反省したところで致し方ない事なのではあるが。
あと『大通り』
正しくは「おおどおり」であるが、これは口語で話す際は問題無いのだけれど、文字やキーボードで入力する際に「おおどうり」としてしまい、変換できずに混乱している者を見かける。
『王様(正:おうさま・誤:おおさま)』も同様である。
この二つの点に関しては余談である、特に意味は無い。
あるいは、吾輩は猫でも犬でも無いのかも知れない
これには諸説ある。
ここまでの文章を、文字数で表すとすれば大体1000文字位なのだが
ブログという媒体において、1000文字で「まだ終わらなさそうな文体」というのは
読者がそろそろ中だるみを気にし始める長さである。
今頃この辺りを読んでいる読者の心を代弁するならば「これ、いつまで続くの・・・」といった所だろう。
その中だるみを解消するべく、始めに定義した事実を180度覆す。
要するに、起承転結における転を意図的に投入して読者の関心を取り戻そうと試みる説である。
もう一つは、そう書いた方が物語に深みが出るような気がする説である。
これには更に諸説ある。
今これを書いているみつまりが、書きながら何となくそんな風に書いた方が良いかなと思ったという説。
もう一つは、つい最近みつまりが何かの書評を読んだ際、著名な書評家が「この物語は云々で〇〇と〇〇と〇〇と構造化して解釈のできる、とてもよく練られた作品だ。」と評していたのを思い出したので、そういうのをやってみたかったという説である。
さて、いよいよ起承転結の結の部分である。
と、起承転結を気にしているような物言いをしていながら、実は承が一体何処にあったのか、書いている本人も分からないのであるが、恐らくそれは読者が自ずとどこかで見つけてくれるであろう事を祈りながら結びに進みたい。
中盤にて、漢字の読み方に関する説を書いていて気付いたのだが
最近のスマートフォンでは「おうさま」でも「おおさま」でもちゃんと『王様』に変換できる。
昨今のコンピュータは優秀すぎるのではなかろうか
人間の不出来な部分や誤りを柔軟に判断し、突き止め、こちらがその誤りに気付く前に勝手に修正しているのである。
こんな物に頼りきりでいれば、そのうち我々がコンピュータに乗っ取られる日もそう遠くはないだろう。
もしも、コンピュータに侵略された時の状況を
PC「ワレワレハ、コンピュータ、デアル。」
などと想像している者がいたら、是非改めるべきだ。
日々進化しているコンピュータは、人間の愛するものを理解し、その心に付け込むような形を成して近寄ってくるだろう。
例えば、しなやかな体つきと毛並みを身に纏い
流暢な日本語で
「吾輩は猫である、名前はまだ無い。」
などといった風に。
私、脱いだら凄いんです。ストリッパー的『仏像超入門』
そろそろ明けましておめでとうございます。年の瀬も迫り、皆さんお忙しいでしょうか、カメノセタロウです。
年始年末で、社寺に参拝する機会も増えますので、仏像に関してちょっと書いてみます。ちなみに、寺の跡取りの知り合いから「大晦日は、ガキ使のちょうどええとこらへんで除夜の鐘を突きに行かなあかんのがツラいわ」とまったくありがたくない言葉を最近頂きました。
お寺に行くと、いろんな像があります。
例えば、
こんなのとか。(仁王さん)
こんなのとか。(お地蔵さん)
こんなのとか。(奈良の大仏さん)
その他にも、「阿修羅像」や「帝釈天」「毘沙門天」等の名前を聞いたことがあるやもしれません。ただ、これらの中で『仏像』と言えるのは、奈良の大仏さんや、お地蔵さんだけです。他の阿修羅とか帝釈天は、仏教を守る守護者的な感じです。まあ、本当は仏教に屈服させられた、異教の神々なのだったりしますが。
仏像は大きく分けて『菩薩』と『如来』がございます。
大雑把に言うと、仏(ほとけ)と呼ばれるのは『如来(にょらい)』と『菩薩(ぼさつ)』だけであります。そして、『如来』と『菩薩』で言えば、『如来』さんの方が偉いのでございます。どんだけ偉いかと言われると、『如来』さんは、悟りを開いたお釈迦様の姿を現したもので、『菩薩』さんは、悟りを開く前の修行中のお釈迦さんの姿を現したものです。そりゃ断然、修行中の身より、修行後の方が偉い!
では、その『如来』と『菩薩』さんの見分け方と言えば・・・。
菩薩さん。
菩薩さん
菩薩さん。
お地蔵さんも、地蔵菩薩と言う菩薩さんですが、これらに共通するのは、頭に冠付けてたり、アクセサリーをじゃらじゃらつけていたり、手に何か持っていたり、そんな感じであります。
それでは、悟りを開いた『如来』さんはどんな姿かと言うと。
如来さん
如来さん
如来さん。
頭はパンチパーマで、冠はつけておらず、手にも何も持っておらず、衣服も質素なものを最小限。例外はありますが、基本的にはこのようなものが『如来』さんです。ストリッパーのように、多く衣服を脱いだもんが偉いのです。
仏教と言えば、ざっくり言うと『執着しない』ことを教えてくれる宗教であります。なので、悟ったお釈迦様は服や装飾品にも執着せず、必要最小限になっておられるのです。この教え、是非若くて美しい女性に広まって欲しいものですね、ええ。
仏様の額のアレの正体。
ちなみに、仏像を見ていると毎回気になる額のアレ。その正体、何だかご存知でしょうか?押したらどうにかなりそうな、アレ。
ホクロかな?と、何も知らない頃は思っておったのですが、その正体は「毛」です。毛。引っ張ると数メートルの長さがあり、光を放つこともあるらしいです。アデランスもびっくり。ちなみにお名前は『白毫(びゃくごう)』と呼ばれておりまして、仏様の数ある特徴の一つでございます。
お寺に行って、「これは仏像かな?」と悩んだ時に、まずは額を見ると良いと思います。この「毛」があれば間違いなく仏像さんでございます。毛がないハゲは、仏様の部下とか守護者とかでございます。
気の長い人に朗報、弥勒菩薩様。
広い世の中には「もうお釈迦様も死んじまって、おいらたちを救ってくれる人なんていやしない」と思う方もおられるかと思いますが、そんな方もご安心。仏教ではお釈迦様の次に仏様になる方が決められております。そんな未来の仏さまのお名前は「弥勒菩薩」様でございます。
こんな感じの、考え込んでいる姿で表現されることが多い弥勒菩薩様。現在は、未来の仏になるべく、修行中であり、どのように人々を救おうかと考えております。その考えている期間、実に56億年。56億年後に、悟りを開いて仏様になることが約束されてます。これで、お釈迦様亡き後も安心だね!
さて、服を脱げば脱ぐほど偉いんやったら、真っ裸の仏さんはおらんのか?と、気になるところではありますが、ごく一部の例外を除いて、私はそのようなものは知りません。
ごく一部の例外↓
ジャイナ教に関してちょっとだけ。
ただ、お釈迦様が仏教を開いたのと同時代のインドで、お釈迦様と同じように宗教を開いた人がおりまして、その教えが今に伝わっておるのがあるのですが、そちらの方では、真っ裸の像があったりします。何も知らずに見たら、仏像が真っ裸と思ってしまうかもしれませんが、こんな感じ。
おでこに『白毫』が無いので仏様ではございません。ジャイナ教と呼ばれる宗教のお像でございます。
「何を手で隠しとんねん!」とお怒りのお方がおられるといけませんので、こちらの宗教の像をもう一つ載せておきます。
すっぽんぽんのぽーん。
ジャイナ教は仏教と同じく長い歴史を持ち、徹底的な禁欲と不殺生、不所有がその特徴でございます。お像はすっぽんぽんで、熱心な信徒は不所有の観点から服も所有しない・着ないを実践しておりますが、性行為に関しても厳しく戒められております。
さて、そろそろクリスマスですね。カメノセタロウ的には
「ねえ、クリスマスはイエスキリストの誕生日だから、仏様の教えを思い起こして、服を脱ぎ、ベッドの上でともに修行しないかい?」
と言ってみたい今日この頃です。
『草なぎ剛のなぎは弓ヘンに旧字体の前に刀』を愛でる
みかんの「み」に、つまようじの「つ」に、麻婆豆腐の「ま」に、量子力学の「り」のみつまりですどうもこんばんは。
冒頭から情報過多なご挨拶で失礼いたしました。
今回は、この「名前の説明」について気になった事を少し。
先週の三連休は、ジャニーズから籍を抜いた元SMAPの3人がネットテレビのAbemaTVで72時間生放送を決行し、ネットが賑わいましたね。私も、大体パソコンを触る深夜帯にチラチラと視聴しました。
ていうかツイッター開いたらなんか右端にワイプみたいな感じで72時間の生放送が勝手に流れてたんですよ、あれってツイッター開いた人みんななってたんですかね?それとも私だけ?AbemaTVのツイッターアカウントをフォローしてたから?なのかは分かりませんけど、あんなにさり気なく画面上に国民的アイドルが映ってたら見ちゃいますよ、しかもLIVE配信だし。
しかしネットのお祭りはいつだって刹那。
同時期にツイッターを介したセンセーショナルかつ大変大きな事件が発生した為、インターネットはインターネットらしい動きを見せてあっという間に72時間テレビは某吊り士情報に呑まれました。
その情報発信のタイミングと上書きの速さはそれは見事なものでした(アレってもしかしたらジャニーズが送り込んだ刺客だったんじゃないの?)と推理してしまうほどに。
という事はどうでも良いのですが、私が気になっているのは草なぎ剛さんの事です。
草なぎ剛・草彅剛
いや、彼の行く末とかプロフィールが気になっている訳では無いですよ、私が気になっているのは彼のお名前です。
『草なぎ剛』
皆さん、彼の氏名が出てくる記事をネットで読んでいて気になった事って無いですか?
この名前がネット上で話題になる度に、必ず記事の最後に記されている一文
『※草なぎのなぎは弓ヘンに旧字体の前に刀』
これ、見た事ある人多いと思うのですが、いかがでしょう。
この一文をご存じない方の為に一応ご説明させていただきます。
こちらの一文は、SMAPや草彅剛さんの記事の行末に結構な頻度で書かれている「草なぎのなぎは本当は平仮名ではありません。実は、弓ヘンと、つくりの方は上が旧字体の前でその下に刀と書く漢字を用いるのですが、ちょっとアレなもんでフォント的なものが無いのでこちらでその旨を記載しておきますね。という事を説明している文章」です。
おそらく、昔は「彅」の文字が常用漢字では無かったとかの理由でこの漢字がフォントの中に無く、やむなくこのような記載をする慣習が付いたのだと思うのですが、この記事中でも所々で使用している通り
彅←このフォントって、もう結構前から存在してるんですよね。
しかしながら、一部メディアを除く大手の新聞社等では、草彅さんに関する記事の末尾には大体今でも
『※草なぎのなぎは弓ヘンに旧字体の前に刀』
との記載があります。なぜなんでしょう。
落語の「お後がよろしいようで。」みたいな事なのかな?
もしかしたら草彅剛さんの記事を書く際には
「『※草なぎのなぎは弓ヘンに旧字体の前に刀』と書かなければならないものとする(日本国憲法第百四十五条)」
みたいな法律があるのでしょうか。
真相は定かではありませんが、彅の字体の表記方法やその背景については、私よりも、けきぺろの知性担当カメノセタロウ氏の方が良く知っていそうだし、知らなくてもちゃんと調べてくれそうなので、彼がいつの日か記事にしてくれることを期待しつつ、私からの言及はここまでとさせていただきます。
グラビアのコーナー
最後に、ネットを愛する私のネットコレクションの一つである『草なぎのなぎは弓ヘンに旧字体の前と刀』のグラビアを少しだけご紹介してお別れのご挨拶とさせていただきます。
読売オンラインより、ドラマ『スペシャリスト』出演時のインタビュー記事
王道、記事最後に「※草なぎ剛のなぎは、弓ヘンに剪」パターン
朝日新聞オンラインより草彅剛さんの解説
(「なぎ」は、弓へんに剪)Ver
やっちゃった時のやつ
「草彅(弓ヘンに剪)剛」という名前の間に強引に挟むパターン。これ草彅ってもう漢字で書いてあるのにわざわざ漢字の説明付き。やはり記載義務が法律で定められているのか・・・
【番外編】
草彅剛さんのWikipedia
記事も書きあがったし弓ヘングラビアを貼って終わろうと思いつつ、何となくWikipediaを覗いたら、こちらの記載を発見。
と言う訳で、草彅剛さんのなぎの漢字はJIS X 0213:2004で規定された文字である事が判明しました。
恐らく2004年以降に彅という文字がJIS規格で規定された→それに合わせてフォントスタイルの改定が行われた(それが何年なのかは分からないけれど)
なので現在は草彅の彅がPCでもスマホでも入力できるようになったのでしょう。
それ以上の詳しい事に関しては、各自で調べていただけますと幸いです。
以上です。
ファミコンがしたくてしょうがなかったあの頃のお話 ~個人ブログスピンオフ~
先週の月曜火曜、けきぺろを開設して7ヶ月目でついに初めて記事の更新を落としてしまったと思っていたら共同ブロガーの人に2回目だと言われたみつまりです、どうもこんばんは。
今回は、みつまりの個人ブログより
↓こちらの記事のスピンオフ(番外編)を書かせていただきます
私以外にけきぺろマニアの方なんかがもしいらっしゃいましたら、是非とも「不登校ブログ:A面」「けきぺろ:B面」みたいな感じで両方を読み比べていただきますと、より一層お楽しみ頂けるかと思います。
人形を椅子に座らせるより、海老原君をブランコに座らせる方が何倍も楽しかった。B面
シルバニアファミリーを見ると思い出す
これ、あんまり好きじゃなかったなー、って。
幼少から10代にかけて、私の好む遊びは大抵男子が好むような事ばかりだった
木登り、入り組んだ路地裏を走り回る探検、アスレチック、秘密基地作り、ファミコン
そう、私が子どもの頃、ファミリーコンピュータ(通称:ファミコン)というものが発明された
白色で、赤いコントローラーが付いていて、カセット差し込み口があって、テレビに繋ぐと色んなゲームができるという魔法の道具
これな
ファミコンの発売は1983年だそうだが、ゲームカセットの『スーパーマリオブラザーズ』が1985年に発売された頃から、マリオしたさに消費者が動き、ファミコンが爆発的にヒットしたような体感がある、実際のところは分からないけれど。
とにかく、赤色のマリオと緑色のルイージが任天堂所属の永遠の錬金術師と化した事は間違いないし、この地球に生命が誕生してから現在までの「輪廻転生した回数ランキング」があるならば、1位はマリオだと思う。
当時、ゲーム内で怪我をしようが命を落とそうが、とりあえず終始無表情だった彼は、現在も現役、WiiやDS等のゲーム機で驚くほど表情豊かに活躍している。
↑これが↓これ、もはや別人。
よく見たら服の色も違う。
現在の30代は当時まだ財力の無い子どもで、ファミコンを熱烈に親にねだったり、お年玉を貯めて買ったりしたど真ん中世代ではないだろうか
当時の小学生のご家庭事情は、ファミコンを「買ってもらえる家」と「買ってもらえない家」に二分化されていたように思う
ちなみにうちの家は諸事情によりファミコンを買ってもらえなかった。
アレに魅了されたものの、手中に納める事の出来ない私はファミコンがしたくてしたくてしたくてしたくてしたくて…
そんな小学生だった私が思いついた苦肉の策の大発見
それは・・・
という事
ファミコンを渇望していた当時の私には「ファミコンがある家」の友達が羨ましくて羨ましくて
あまりにも羨ましすぎてファミコンを持っている友達がファミコンに見えた
小学生当時の私は「体目当てで女性に近付く男性の気持ち」が手に取るように分かる子どもだったと思う
当時の私はそれはそれは手当たり次第に「ファミコン目当て」でファミコンを持っている同級生と遊んだ
これはファミコンナイ家庭あるあるだと思うのだけど、ファミコンアル家庭の子って、友達が家に遊びに来たらファミコンで遊ぶのをやめるんですよ
「今日はファミコンじゃなくて別の事して遊ぼー」とか言い出すんですよ
アル家庭の子は普段からファミコンをしているので、友達が来た時くらいは別の遊びがしたいし、友達の親もずっと家でファミコンしてる我が子を見ているので「友達が来てくれた時ぐらい外に遊びに出かけておいで」みたいな事を言い出すんですよ
いやいや、ちょっと待って
こちらはファミコンがしたくて遊びに行ってるのにファミコンじゃない事をしたがるなんて全然意味が分からない
貴方からファミコンを取ったら一体何が残るの?って聞きたかったしそんな時はもう別のファミコンの所へ行く口実を考えていた
「こいつはなんて我儘なファミコンなんだろう」と当時は心底思ったものである。
そういえば、海老原君の家にはお邪魔した事がなかったなぁ
彼のお宅には、果たしてファミコンはあったのだろうか。
以上です。