ファミコンがしたくてしょうがなかったあの頃のお話 ~個人ブログスピンオフ~
先週の月曜火曜、けきぺろを開設して7ヶ月目でついに初めて記事の更新を落としてしまったと思っていたら共同ブロガーの人に2回目だと言われたみつまりです、どうもこんばんは。
今回は、みつまりの個人ブログより
↓こちらの記事のスピンオフ(番外編)を書かせていただきます
私以外にけきぺろマニアの方なんかがもしいらっしゃいましたら、是非とも「不登校ブログ:A面」「けきぺろ:B面」みたいな感じで両方を読み比べていただきますと、より一層お楽しみ頂けるかと思います。
人形を椅子に座らせるより、海老原君をブランコに座らせる方が何倍も楽しかった。B面
シルバニアファミリーを見ると思い出す
これ、あんまり好きじゃなかったなー、って。
幼少から10代にかけて、私の好む遊びは大抵男子が好むような事ばかりだった
木登り、入り組んだ路地裏を走り回る探検、アスレチック、秘密基地作り、ファミコン
そう、私が子どもの頃、ファミリーコンピュータ(通称:ファミコン)というものが発明された
白色で、赤いコントローラーが付いていて、カセット差し込み口があって、テレビに繋ぐと色んなゲームができるという魔法の道具
これな
ファミコンの発売は1983年だそうだが、ゲームカセットの『スーパーマリオブラザーズ』が1985年に発売された頃から、マリオしたさに消費者が動き、ファミコンが爆発的にヒットしたような体感がある、実際のところは分からないけれど。
とにかく、赤色のマリオと緑色のルイージが任天堂所属の永遠の錬金術師と化した事は間違いないし、この地球に生命が誕生してから現在までの「輪廻転生した回数ランキング」があるならば、1位はマリオだと思う。
当時、ゲーム内で怪我をしようが命を落とそうが、とりあえず終始無表情だった彼は、現在も現役、WiiやDS等のゲーム機で驚くほど表情豊かに活躍している。
↑これが↓これ、もはや別人。
よく見たら服の色も違う。
現在の30代は当時まだ財力の無い子どもで、ファミコンを熱烈に親にねだったり、お年玉を貯めて買ったりしたど真ん中世代ではないだろうか
当時の小学生のご家庭事情は、ファミコンを「買ってもらえる家」と「買ってもらえない家」に二分化されていたように思う
ちなみにうちの家は諸事情によりファミコンを買ってもらえなかった。
アレに魅了されたものの、手中に納める事の出来ない私はファミコンがしたくてしたくてしたくてしたくてしたくて…
そんな小学生だった私が思いついた苦肉の策の大発見
それは・・・
という事
ファミコンを渇望していた当時の私には「ファミコンがある家」の友達が羨ましくて羨ましくて
あまりにも羨ましすぎてファミコンを持っている友達がファミコンに見えた
小学生当時の私は「体目当てで女性に近付く男性の気持ち」が手に取るように分かる子どもだったと思う
当時の私はそれはそれは手当たり次第に「ファミコン目当て」でファミコンを持っている同級生と遊んだ
これはファミコンナイ家庭あるあるだと思うのだけど、ファミコンアル家庭の子って、友達が家に遊びに来たらファミコンで遊ぶのをやめるんですよ
「今日はファミコンじゃなくて別の事して遊ぼー」とか言い出すんですよ
アル家庭の子は普段からファミコンをしているので、友達が来た時くらいは別の遊びがしたいし、友達の親もずっと家でファミコンしてる我が子を見ているので「友達が来てくれた時ぐらい外に遊びに出かけておいで」みたいな事を言い出すんですよ
いやいや、ちょっと待って
こちらはファミコンがしたくて遊びに行ってるのにファミコンじゃない事をしたがるなんて全然意味が分からない
貴方からファミコンを取ったら一体何が残るの?って聞きたかったしそんな時はもう別のファミコンの所へ行く口実を考えていた
「こいつはなんて我儘なファミコンなんだろう」と当時は心底思ったものである。
そういえば、海老原君の家にはお邪魔した事がなかったなぁ
彼のお宅には、果たしてファミコンはあったのだろうか。
以上です。