『岡崎に捧ぐ』山本さほ ~変わりゆく時間の中で変わらない者の存在に救われた私達のお話~
こんにちは、みつまりです。
本日は、こちらの漫画の感想文を記事とさせて頂きます。
『岡崎に捧ぐ』山本さほ
1巻を読んでFacebookに掲載した感想文
20年来の友人から
「漫画に出てくる2人が昔の私達にそっくりすぎてヤバい」
と薦められてkindleで1巻を購入。
友人とは、同じ学校の不登校児という共通点で繋がり、出会った頃から「学校大嫌い」という点以外は、性格も趣味も嗜好も生活スタイルも、何もかもが正反対で、この20数年間、全く別の道を歩んできたのだけれど
10代の頃は、それこそ
家族よりも長く密な時間を共に過ごし、どんなに社会から排除されたとしても
どんなに距離や時間が2人を隔てても、たとえ大多数から批判の対象になったとしても
互いの手は離さない、不思議と離れない。
そんな関係で
この友人と出会えた事は、私の人生で何よりの幸運だったと
私にとってはそんな存在で
その友人から薦められた漫画の中の2人は
無垢でアホで好奇心に満ちててくだらない事に目をキラキラさせていて
本当に当時の私達にそっくりで。
これを読んだ友人が
作中の山本さんと岡崎さんの思い出を
他の誰でもない私達の思い出に重ねてくれた事が嬉しくて嬉しくてこそばゆい
何よりもタイトルが全てを物語っていて秀逸
そんな一冊でした。
ここから加筆『足して2で割ったふたり』
上に記載されている「友人」は、もちろんピーの事です。
ピーの事をこのブログに書くのは4度目になります(関連記事は以下からどうぞ)。
何の捻りもありませんが、私が当ブログで「ピーに捧ぐ」というカテゴリを作成しているのは、この『岡崎に捧ぐ』に多大なる影響を受けているからです。
世代的に、山本さん達の方が私達よりも若干下で、当然ながら皆それぞれ違う人間なので、お互いどちらが岡崎さんでどちらが山本さんに似ているかというのは分からないのですが
ゲームが異常に好きな所とか、それぞれの環境が変わってもお互いの友情は変わらない所とか、読めば読むほどこの2人と私達は似ているなーと感じて笑みがこぼれます。
文字通り「岡崎さんと山本さんを足して2で割った」のが私達。
というのがピーと私の共通認識です。
これは、最近出版されたスペリオールに掲載されていた『岡崎に捧ぐ』の連載記事です。
山本さんがブログを始めて(何を書こっかな・・・そうだ、岡崎さんの事書こー。)となっているシーン。
当ブログを開設する事が決まり「最初の記事何にしようかな・・・そうだ、ピーの事書こー。」となっていた時の自分ともう本当にそっくりそのまま同じで
このページの写メをすぐさまピーに送り、2人で大笑いしました。
ちなみに「そうだ、ピーの事書こー。」と思って書いた初回記事はこちらです。
2巻の中盤、山本さんがクラスの他の女子に流されて岡崎さんとの友情をついないがしろにしてしまうお話が出てきます。
実際、私にもそんな時期がありました。
10代の頃の出来事ですが、この本を読む以前からいまだにずーっと心に引っかかっている事で、だから(ああ、私にもそんな事があったなぁ)と・・・
そしてその申し訳なかったなあっていう思いは、私と同じでやっぱり山本さんもずっと覚えているんだなぁ・・・と。
年単位で世代の心を掴むという事の凄さ
『岡崎に捧ぐ』は現在1~3巻まで出版されており、巻ごとに小・中・高の思い出が描かれています。
この作品は、30才前後の世代の人達の当時の小・中・高校生あるある(ルーズソックス豆知識等)や
著者である山本さんが無類のゲーム好きなため、懐かしいゲームの事が詳細に描かれている(ときメモ豆知識等)ところが、特に同世代の読者の心を掴んでいる印象です。
全然関係ないけどロフトプラスワンウエストで偶然見かけたサイン
ピーは無類のゲーム好きだったので、山本さんにより親近感を持った様子でしたが
私はそんなにゲームを知らないし、世代が微妙に私より若いので、実はこの漫画の中の「あるあるネタ」が分からない事も多々あったりします。
ちなみに、この作中で「山本さんがゲームをプレイしていて岡崎さんは後ろで見ている(ちなみに岡崎さんの家のゲーム)」という構図がよく出てくるのですが
私達もまさにそんな感じで、ピーがゲームをしている様子を私はいつも後ろから眺めたり、たまに一緒にプレイしたりして楽しんでいました。
私はこれを『岡崎ポジション』と勝手に命名させていただきました。
しかしこの「ほんの数年世代がズレるだけで分からない」というのは決して悪い意味ではなく、むしろものすごい事だと思うのです。
それだけピンポイントに当時の事を覚えていて、かつ、ツボをしっかり押さえているという事。
およそ常人では出来ない芸当だと思います。
山本さほさんは2017年現在31才との事ですので、特に30才~32才の方に是非とも読んでいただきたい作品です。
2巻3巻を読んで
昨年6月に1巻を購入して以降
この書籍を薦めてくれたピーが「2巻からは中学高校の話らしくて、私はピンと来ないと思うので読んでない。」と言っていたので、同じく私も何となく手にする機会が無く過ごしていたのですが
最近になって近しい人物から改めてこの書籍を薦めていただきまして、恐る恐る読んでみたところ、想像以上に心に響いた為この記事を書くに至りました。近しい人ありがとうございました。
2巻3巻の内容は、私達の、少なくとも私の考えていたものとは全く違うものでした。
著者の山本さん自身も、当時の私達と同様に学校内での同級生との関わりや、大人になってゆく事、周囲の視線が徐々に変わっていく事に対して大きな違和感を抱えながら日々を過ごしていたようで、その繊細な心模様が描かれており、それらは私の共感できるものばかりでした。
もしかしたら「思春期の頃に感じる違和感は誰だって経験しているものだよ。」と思われる方がいらっしゃるかも知れません。
もしそうならば、私が井の中の蛙なだけなのでご容赦ください。
ただ、私は読書が好きなのですが、数ある書籍の中で特に学園ドラマ的なものは好きではありません。
例えば『桐島、部活やめるってよ 著:朝井リョウ』とか『夜のピクニック 著:恩田陸』とか、映画の『耳をすませば』とか。
私は、中学3年生に進級するタイミングで転校したのをきっかけに、学校へ行かなくなったいわゆる元不登校児です。
その経験から、大人になった現在でも、学校が舞台となっている作品は内容以前に「学校の雰囲気」が本能的に受けつけないのだろうと思います。
ピーの「私はピンと来なくて読んでない。」という発言も、私と同様の感覚だと思います。
共鳴した山本さんの感覚
この作品も学校が舞台となっているものに変わりはありません。
しかし、私が違和感なく受け入れられたのは、山本さんの感じていた当時の違和感や焦燥感に自然と共鳴できる部分があったからだと思います。
先に挙げた3作品にも、学生時代特有の過剰な自意識や焦燥感や葛藤みたいなものが描かれている(多分・・)のですが、何となくそれらとは違うのです。
「これは経験した者にしか分からない」と言ってしまったら身も蓋もないし、こうしてあえて文字で発信するブログを表現媒体として選んだ意味が無いと思うので
何とかこの思いを文章化出来ないかと拙い頭で考えて辿り着いたのが
著者ご自身による『あとがき』でした。
すべてはあとがきに
【2巻のあとがきより一部抜粋】
第一集の第一話に「友達の家に人生ゲームをしに行って岡崎さんと出会う話」があるのだけど、その頃はよくその友達の家に遊びに行っていた。けれど実は一つ問題があって、私はその友達の母親に好かれていないのを当時、子どもながら敏感に感じ取っていた。
今、大人になって改めて考えると、私みたいなうるさくてなんでも仕切りたがる子と、岡崎さんみたいに何を考えてるのかわからない暗い子が家にバタバタ入ってきて好き勝手やられたら追い出したくなるのもわかる。
けれど、当時は「なぜ、私は友達と遊びに来たのに友達の親に選別されなきゃいけないんだ」と面白くなかった。
(以下略)
私も山本さん同様に「周囲の大人に嫌われる子ども」でした。
私が不登校になった20数年前は、まだ不登校という言葉自体が無く「登校拒否」と言われていた時代。
登校拒否がなぜ不登校に改称されたのか、何がどう違うのか全然わかりませんけど「登校拒否=精神病」とされており、世間の、特に大人の風当たりや偏見の眼差しは、当時の私にはきついものでした。
友人知人親戚の保護者から直接「みつまりちゃんの登校拒否がうちの子に伝染ったら困るからうちの子と遊ばないで。」と言われた事も当然の様にありました。
もちろん、学校へ行かなかった事だけが嫌われる原因では無かったと思います、不登校以外にも細々と嫌われる要因を持っていたのだろうと思います。
幼き日の嫌われエピソードを一つ・・・
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子どもの頃の私は、盆正月や、季節の折に従姉妹達等の親戚で集まる事が楽しみな子どもでした。
その中でも特に同性の従姉妹とは仲が良く、幼稚園の頃から中学校までずーっと頻繁に文通のやり取りをしていました。
それが、私の登校拒否を境に彼女から私へ宛てた手紙は一通も返って来なくなりました。
当時の私にはその理由がまったく分からなかったので、返事が来なくても、長い間何通も何通も送り続けていたのですが・・・ただの一度も返事が返って来る事はありませんでした。
なぜ返事が返って来なかったのか。
その真相を愉快そうに話す従姉妹本人の口から聞いて知ったのは、それから10年以上も後の事。
文通が途絶えた事で、幼い頃から当たり前のように繋がっていたはずの彼女との関係が途切れてしまうのではないかという寂しさや不安に飲み込まれながらも、なお
それでも(あんなに仲が良かったのだからいつかまた返事をくれるかも知れない)という一縷の望みを持って送り続けていた手紙は
従姉妹の母親にあたる叔母に全部捨てられていたそうです。
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山本さんはなんとか現役で高校を卒業されているので
全く同じとは言えませんが、上に記したような
『集団から「排除される」「とり残される」「おいていかれる」のではないか』という感覚が、漫画の端々に垣間見られて私の琴線に触れたのだと思います。
そして、そんな変化が止まる事のない先の見えない大きな不安のうねりの中で
「絶対に変わらないもの」の存在に恵まれ救われた事。
それが
山本さんにとっての岡崎さんであり
岡崎さんにとっての山本さんであり
私にとってのピーであったのだと思います。
さいごに
30代後半になった現在、幸運な事に、こんな私にも定期的に食事に誘ってくれる友人や、困った時には気にかけてくれ親しく接してくれる人達との繋がりが沢山できました。
ここでこうして「一緒にブログをやろう」と声をかけてくれる友人(知人?知らない知人?)まで現れました。
感謝してもし切れない想いです、皆さん大切な友人知人です。
ですが、私はピーと出会って以来「友人が欲しい」と思った事は一度もありません。
なぜなら、私にはピーがいるから。
ピーもまた同じ気持ちだと思います。
いつもながら長くなってしまいました。
長文にお付き合い下さった方、有難うございました。
何だか「重―い想い」のつまった記事になってしまいましたが
この記事を通して
岡崎さんと山本さんの関係を、自分達の友情に照らし合わせて笑い合う
そんないち読者の思いがいつの日か岡崎さんと山本さんにも届くといいな
などというささやかな願いを込めて・・・
この記事を
『岡崎さんと山本さん。そして、ピーに捧ぐ』
以上です。