ケーキをペロペロする奴は大体友達

ケーキのフィルムをペロペロする奴は大体友達

ノーインターネットノーライフ 言うてますけど

はう〜恥ずかしがってる女の子が世界一可愛い〜〜!!

お久しぶりの登場になってしまいました。皆様お疲れ様です。よっぺぺ~いです。よーへいです。

 

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恥ずかしい男

 

ここ数ヶ月東北で仕事をしており、それが終わり東京に帰ってまいりました。

その仕事の最終日の飲み会では僕が酔いつぶれてしまい、社長二人に肩を担がれるという僕の人生史上で最高に豪華な介抱のされ方も経験しました。次の日謝った時には「いや~まいったよ、昨日君に顔射されちゃってさあ、覚えてないだろ?」と言われました。めちゃくちゃ良い社長ですね。もしかしたら本当にしたのかもしれません。そんなこんなで僕は東京に帰りました。

 

東京に帰ってきた僕は、今、無職です。

 

これは、無職の男が「はう~恥ずかしがってる女の子が世界一可愛い~~!!」って言ってる記事です。

 

「他にもっとやることあんじゃねーの?」「時間の浪費だよ?」と思う方もいるかもしれませんが、そう言うあなたの人生でも「こんなことやってる場合じゃないのになあ」と思いながら何かをした事があるかと思います。まあ、短めに言うと「イエーイ!今が楽しけりゃそれでいいじゃん!バイブスあげてこ~!」って感じです。

 

 

僕はもうアラサーです。

 

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世界史の中の去勢者達。

こんばんは、お久しぶりですカメノセタロウです。「3人でブログをしたら、1人が忙しくて記事を書けなくても、残り2人でフォローできるから良いね」と思っていましたが、忙しい2人を1人でフォローする事態になるとは思ってもいませんでした。その間、このブログを支えてくださった約1名の共同ブロガーには感謝するとともに去勢して謝罪したい気持ちで一杯です。

 

話しは打って変わって、私は中学高校生のころ「下半身は女で上半身は男の体型になりてぇなぁ」と思っていたことがあります。サンマに手足を生やしたような凹凸のない体型に憧れておったのですが、簡単に言えば下半身にある男性のシンボルをチョッキンしたいという仄かな願望がありました。単にチョッキンするだけで、性転換を伴わないので、『去勢』と呼ばれるものですが、猫などのペットや競馬に使われるサラブレッドなど動物に多く施されるあれですね。猫の場合は生殖・性の機能を無くすことを目的とし、馬の場合は気性を抑えたりする、その性の持つ特色を薄めるためにおこなわれるもの、と区分できますかね。

さて、今夜はそんな去勢をした・させられた、世界史の中の人物のお話し。

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宦官

皆さんも聞いたことがある・見たことがある単語ではないでしょうか。中国での存在が特に有名で、中国の影響を受けた朝鮮やベトナムなどアジア諸国でも見られました。他にも、古代ギリシャやローマ、イスラム諸国でも見られましたが、中国の影響を受けている日本では、なぜか宦官制度がありませんでした。島国摩訶不思議。

宦官は、去勢され子孫を作れないことから、自分の家門や子孫のための私利私欲を働くことなく、国家や主君に忠実に仕えることを期待されておりました。中国では紀元前から1900年代まで存在しており、時代によってその役割は異なりますが、皇帝の家僕・秘書・官僚と言った存在で、時に大きな権力を握り皇帝や帝国の運命さえも左右しました。

中国ではもともとは刑罰の一種として去勢され宦官となっておりましたが、後の時代には自ら去勢し宦官になる人も多くなりました。ちなみに、去勢の仕方は睾丸のみを摘出する場合と、生殖器全体を切除する場合がありました。ちなみに、当然のことですが、この去勢によって死亡する人もたくさんおりました。

著名な中国の宦官たち

司馬遷(紀元前145/135年? – 紀元前87/86年?)

中国を中心とした歴史書『史記』を書いた人物。東アジアの歴史を語るならこの人に足を向けては寝むれない。『史記』はその後2000年もの間、歴史書を書く際のお手本とされました。なお、去勢された直接的な原因は皇帝の意に沿わないことを発言したため。
皇帝「あやつは国を裏切った」
司馬遷「そのお方は国を裏切ってなどおりません!」
皇帝「うっせえ、ちんこもぎ取るぞ」
司馬遷「ぴぎゃー」
皇帝「めんごめんご、あいつ裏切ってなかったわ。めんごな」

とても簡単に言うと、そんなお話し。

蔡倫(50年? - 121年?)

『紙の発明者』として日本の教科書にも記載されている人物、だったが彼以前にも紙の存在が認められたので『紙を実用的に改良した人』と言うべき存在か。紙が文明の発展にどれほど大きく寄与したかは言うまでもない。ヨーロッパでは彼のような存在が現れなかったので、10世紀になっても紙が実用化されず、獣の皮に文字を書いておりました。

 

他にも大航海をした鄭和なども宦官でございます。しかし、中国の歴史で『宦官』と言えば『汚職し権力欲にまみれた、皇帝の周りで蠢く去勢された奴ら』的なイメージが強いですね。

 

去勢されたけど国を作ったお方。

去勢されると、当然生殖能力がなくなり、子孫を作ることができなくなります。しかし、そんな方でも権力を握り、自分の国を作り、後世に伝えた方もおります。

アーガー・モハンマド・シャー(1742年? - 1797年6月17日)

子供のころ敵対勢力に捕まり、去勢され、人質として連れ去られるも、その勢力が後継者争いで混乱している間に脱走し、地方で着々と力を蓄え、自分を去勢した勢力を打ち破り、現在のイランの地で皇帝に即位し、その後100年以上存在した帝国を築きました。

昔、イランの歴史の本を読んでいた時に非常に記憶に残った人なのですが、この人に関する伝記など良書を探しておるところなので、ご存知の方はご一報を。

なお、当然ながら子供を作ることができませんでしたので、2代目皇帝は、親戚の中から選びましたさ。豊臣秀吉システムですね。

 

芸術のために去勢されたかたたち。

「芸術のためなら、私、脱ぎます!」とか、どこかの誰かが言ってそうな言葉ですが、「芸術のためにお前去勢しとくわ」ってなことがおこなわれたことがありました。最盛期には、毎年数千人の年端も行かぬ男の子が去勢されておりました。時代は16世紀から19世紀のヨーロッパ、目的は男の子の声変りを防ぎ、高音域の歌声を得るためでした。

彼らはカストラートと呼ばれ、ヨーロッパのオペラ界にあって絶大な人気を得る者もおりました。彼の偉大な作曲家ベートーベンも少年時代に合唱団で高音域の美声を見込まれ、カストラートとなることを望まれておったとか。

著名なカストラートファリネッリを題材とした映画もありますので、おおらかな性表現に抵抗が無ければ、ぜひご覧くださいまし。

www.youtube.com

 

 

ところで、文中でも「去勢されたら当然生殖能力は無くなる・子孫は作れなくなる」と書きましたが、中国最後の王朝・清王朝に関する本をいくつか読んでいた時に「国が滅び、多くの宦官が皇帝のもとを離れ、市民としての生活をする中で、結婚をしたり子をもうける者もいた」様な記述を時々目にいたしました。あれ?

睾丸を完全に切除しなかったり、棒の部位のみを切除して宦官にする場合もあったのかな。ちょっとした謎でございます。

 

それでは、時々パイプカットを夢見るカメノセタロウでした。

生きる事と死んでいない事

そうです、また私みつまりですどうもこんばんは。

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どうもみつまりです

私ばかり投稿してるので、けきぺろを隠密に愛読してくださっている皆様に置かれましてはあとの二人はどうなってるのかと、食べ物や飲み物以外は喉を通らない程ご心配をおかけしているかと思いますので簡単にご報告だけさせていただきますが、二人とも死んでいませんのでご安心ください。

 

さて、本日は表題の件について少し。

cake-peropero.hatenablog.com

以前カメノセタロウがこちらで記事にしていた「反出生主義」の記事と少し似ている?かもしれない?内容?かどうかは分かりませんが、私なりの死生観?というにはおこがましいかも知れない?事を、お話したいと思います。

 

生きる事の向き不向き

私も多くの人と同じく「お父さんお母さん私を産んでくれて本当にありがとう」と思っています。 思っています。大事な事なので2回言いました。

 

十人十色と言う言葉の通り、人は皆それぞれ違うもの。

なのですが 、無意識下では

「人間は皆同じような形を成しているので中身も似たようなもの」だと、どうしても思いがちです。

「そんな事無い、価値観や考え方は違って当然だと思うよ!」とかそういうお話ではなくてですね

『生を受けた肉体としての「生存本能」みたいなものは基本大体同じ。』
そんな風に無意識に思っていませんか?
「食欲・性欲・睡眠欲」みたいな三大欲求レベルの「健やかに生きたい気持ち」みたいなものです。

 

私には、この部分がなぜがごっそり欠けてるんですよね。
生まれた時の話を聞くと、とにかく食が細くお母さんのお乳を飲まない、そして寝ない。

幼稚園小学校では掃除の時間まで机ごと廊下に出されてのスローフードランチが日常。

少し大きくなって外食に連れて行き「何でも好きな物を食べていいよ」と言われても、ざる蕎麦か素うどんしか食べない。

遊園地に行けば着ぐるみが怖いと怯えて入園口で帰りたがり、お祭りに連れて行けば提灯が怖いと言って近寄ろうともしない。

幼稚園から行くのを毎日過度に拒み、お泊り保育や小学校の林間学校修学旅行ではどんな山奥でも親に迎えに来てもらえるレベルに到達するまで嘔吐や高熱を繰り返す。

 

難易度の高い何かではなく
食べる事であったり楽しい事であったり眠ることであったり
皆が難なくこなす事というよりは「したいからする、して当然」という「本能的に体がそれを求める」レベルの事が、私には昔からとてもハードルの高いものでした。
そしてそれらは、未だに私にとってハードルの高いものであり続けています。

生きる事そのものが、私には向いていないのだなと思います。

 

そんな人間がこの年までよく生きたなと、我ながら不思議でなりません。

体だけはとても丈夫に生んでいただいたのでしょう。

そしてそんな恵まれた身体を大切にしようとしない私を多数の人は「親不孝」と呼びます。 

そんな時、本当に私には生きる事が向いていないのだなと思います。

 

そんな私は、今日も「生きている」というよりは「死んでいない」日々を送れている事に、感謝するべきなのかも知れません。

「お父さんお母さん(あなた方、よくも)私を産んでくれ(やがっ)て本当にありがとう」

 

本日は以上です。

『天空の城ラピュタ』を見た事の無い私が『天空の城ラピュタ』を創造する

こんばんは、いつもお世話になっております。

もう誰がどういう順番で何曜日に投稿するとかいう秩序が完全にどうでも良くなっているけきぺろの共同ブロガーみつまりです。

ブログの内情はさておき

9月29日の金曜ロードショー天空の城ラピュタが放送されるそうです。

実は私、ラピュタを一度も見た事が無いのですが、この映画が放送されるたびに「私、ラピュタ見た事ないんですよ」と周囲に話して「人生半分損してるよ!!」と言われる事に快感を覚えはじめている私が、つぎはぎ的に持っているラピュタ知識だけで(こんなお話なのかな?)と考えたみつまり創作ラピュタを披露したいと思います。

 

みつまりのラピュタ知識

・三つ編みの女子とシータという男子が出てくる
ムスカという大人が出てくる(多分悪い)
・飛行石という物が出てくる
・「人がゴミのようだ」
・「バルス
・「目がぁ目がぁ」

みつまり創造版ラピュタ

この世界は人類滅亡の危機に瀕していた
人類を救うために選ばれしシータ

そして天空から舞い降りた三つ編みの女の子

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二人は実に勇敢な子どもであった。

岩場の陰に隠れ、様子をうかがう二人

三つ編み「ねえシータ、聞こえる?みんなが悲鳴を上げているわ・・・」
シータ「ううん、僕には聞こえない・・・でも分かってる、この世界は僕たちにしか救えないんだ。」
三つ編み「痛い・・とても頭が痛いわ・・・。」

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シータ「三つ編み・・・もう少しだけ我慢して・・・今は、僕には無い君のその能力が必要なんだ。その時が来るまで少し休んでいなよ。」

 

ついにその時は来た

大きな物体が空を覆い尽くすと同時に地面が大きく揺らぎ始める

大好きだった森の木々が突風でなぎ倒され、いつもは鏡面のように穏やかな湖の水面は荒れ狂い、空に浮かぶ雲は見た事の無い形を成し、見慣れた街並みが崩壊していく

逃げ出そうとする人々が群衆となり町中が混乱を極める様子を呆然と見守る二人

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三つ編み「キャッ!」
シータ「三つ編み!!!しっかりしろ三つ編み!!!」

ムスカ「はははは!我ムスカなり!!お前達のような子どもにこの世界が救えるとでも思っているのか?愚かなものどもめ。」

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多分悪役ムスカ登場

 

シータ「ムスカ、とうとう現れたな!」
三つ編み「シータ!これを受け取って!飛行石よ!

パシッ
三つ編みがいつも大事に首から下げていた石をシータに投げ渡す。

シータ「ありがとう三つ編み!ムスカ・・これでもくらええええ!」
飛行石が輝きを放ち始める
二人はそれに手をかざしながら、選ばれし者だけに継承された呪文を唱える

三つ編み&シータバルス

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バルス


石から放たれた輝きが世界を包むと共に、鋭い光線がムスカの顔面に直撃する
ツイッターのサーバーが落ちる

ムスカ「な、なぜその言葉を・・!う、うわぁぁぁぁ!!!」
ムスカ「目がぁ目がぁ・・・」

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目を覆いながら宇宙の果てに落ちていくムスカ
三つ編みの浮遊の力を使い、上空で固く手を繋いでその様子を見守る二人
崩れ行く世界と群衆

「人が・・・ゴミのようだ・・・」

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ゴミのようだ


「また私達で築いていこう、新しい・・・世界を・・・。」

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(エンディング)
あのちーへいーせーんー
きーみーをのーせーてー 

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以上、ラピュタを知らないみつまりがお送りする創作ラピュタでした。

性について開けた考えを持つ事と、積極的に男性器や女性器の固有名詞を使用する事は似て非なるものだと思う私の見解

コウノトリが実在する鳥だという事をつい先ほど知ったみつまりですどうもこんばんは。

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こわそう

本日は、コウノトリとは全然関係ない表題の件について個人的見解をお話したいと思います。

 

女性器の呼び方問題の発端

数年前、とある女性の芸術家によって、自身の女性器をアートとして昇華されたものがわいせつ物とみなされ、わいせつ物陳列罪で逮捕されるという事件がありました。

ろくでなし子 - Wikipedia ←このかたですね

その事件を機に、ろくでなし子さんの考えに賛同する方々や支持する一般人の方々を中心に、ザワザワと「女性器の事を積極的にまんこと呼んでいこう!」みたいな動きが起こり始めました。

ろくでなし子さんの主張は
「男性器の名称は伏せないのになぜ女性器だけ伏字にしなければならないのか。」というもの。
女性器そのものがわいせつの対象となる事は表現の自由を脅かすものであり、また、その根底には女性差別があると主張されていました。

また、この件とは別で、日本は他の先進国と比較して性教育が遅れているという指摘もあります。

日本の大人達が性を過度にタブー視している為、子どもに必要な性についての情報を提供できず、その結果、子どもに「性=いけないもの」という価値観を刷り込んでしまう可能性が危惧されています。

この「性をタブー視する事の危険性」については、なるほどと思う部分もあり、ろくでなし子さんの「男性器はOKなのに女性器がアウトなのは差別」という意見に関しても確かにそうだなと思います。

しかしながら性をもっと開けたものにする事や男女間の差別の垣根を取り払う事と「女性器を積極的にまんこと呼ぶ」という事は、何かちょっと違う様な気がするのです。

 

差別とは

まず、差別について
差別とは、ざっくり言うと不当な理由で不利益を被る事、他の人と同等の権利や利益を得られない事を指します。

主張されていたろくでなし子さんは芸術家の方なので、男性器が芸術として認められている現状で、芸術としての女性器が規制される事は、確かに差別的だと感じます。

ただ、私はこの芸術家のかたの意見と一般常識を混同するべきではないと考えています。

 

不利益を被っているのは男か女か

男女差別は基本的に「女性側が不利益を被っているから男性と同等の権利を与えられるべき」という固定概念がある為、何でもかんでも『女性だって男性と同じレベルに!』と考えがちですが、この件に関して、女性は少し踏み留まるべきではないでしょうか。

女性器の呼称をぼかされる事は、果たして本当に女性が不利益を被る事なのでしょうか。

この件に関しては「女性器がタブー視されているのではなく、男性器が軽視され過ぎている」というのが個人的見解です。

なのでこの場合は『男性を女性のレベルに合わせる事』が差別の解消につながると考えます。

先日、ツイッターでこんなツイートをしたところ

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とある男性のフォロワーさんからこの様なリプライがありました。

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このフォロワーさんの意見のシチュエーションの場合、不利益を被っているのは明らかに男性側です。

この事から、少し視点を変えてみれば女性の身体は男性の身体よりもある意味特別視されている事が分かります。まあ(性的な意味で)なのでしょうがそれを言い出すと水掛け論になるので置いておきます。

ですので、女性は女性器をタブー視されていると目くじらを立てるのではなく神聖なものとして扱われている事に誇りを持ち、更に男性器に対しても同等の扱いをする事で、この事象に関しては差別ではなくなるのではないかと考えます。

 

異論について

「いやいや、そうするとただでさえ閉鎖的な性についての認識が更に閉鎖的になるでしょ。」

「男性器をちんこと呼ぶのであれば女性器の呼び方もそちらの方に合わせるべき。」

その様なご意見の方、果たしてそうでしょうか?

例えば、日本語には一つの物や事象を表す言葉にとして様々な表現があります。
『他者の死』を表す言葉で例えるならば、今思いつくだけで
「絶命した」「亡くなった」「逝去された」「崩御された」「旅立たれた」「天に召された」「お星さまになった」等々に言い換える事が出来ます。

私達はこの数々の語彙の中から、伝える相手との関係性や自分の立場、相手の立場、亡くなった人の立場や関係性など様々な状況を考慮して、同じ事象に対しても細かく表現を使い分けています。

そうなんです、日本語には沢山の語彙があり、私達は日頃それを使い分ける知恵を持ち合わせているのです。

 

日本語の可能性

翻りまして「ちんこまんこと呼んでいこう問題」ですが、私にはこの部分がごっそり抜け落ちている様に感じてならないのです。

「性」という刺激的なお題に対して皆がふいに我を失ってしまっている様に思えてならないのです。

男性器と女性器にそれぞれ名称がある事は普通に知識として伝えれば良いだけの事だし、積極的にその呼称を使用しなくても、性についての知識を深める事はいくらでも出来ます。

けきぺろ読者様なら承知の事実かと存じますが、私は下ネタを話す事に抵抗の無い人間でございます

ですので、実際の会話で誰かと性(下ネタ)について語る事も多々あるのですが・・・何て言うんでしょうね、結局そういうオチかよと思われそうですが、ちんこやまんこを連呼するのってシンプルに面白くないんですよね。

出オチを狙ってる感が凄いというか、これはもう人によって好みが分かれるだけの話なんですけど

「私のおっぱいはAだけど、誰々くんのちんこの大きさは何センチ?勃起した時は?」は、安い居酒屋止まりの会話ですけど、ここで使用される語彙を

「私のバストはAカップで御座いますが、貴殿のご子息は例えるならば何スティックでしょうか?臨戦態勢時の膨張率はいかほどになりますでしょうか?」と変換すればあら不思議、宮中晩餐会でも使えるじゃないですか?え?使えない?そうですかね私にはちょっとよく分かんないです。

 

まとめ

そして、この様に大人が性についての語彙やバリエーションを幾つも用意していたり会話を秘密裏にしたりしない事が、多様な性格の子どもに対しての柔軟な対応に繋がり、かつ、性について悩んだり万が一性犯罪に巻き込まれた子どもにとってその事実を話しやすくする環境づくりの一環となるのではないでしょうか。

と、散々性的な事を話して満足いたしましたので、最後はあからさまに社会派を気取って何かしらを中和させたっぽい感じに纏めたところで本日は終わりたいと思います。


以上です。