百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産へ推薦されるので、仁徳天皇のご紹介 ~後編~
最近、身体がカスタードクリームを欲していて、近所のケーキ屋さんへ「あの、カスタードだけで売ってくれませんか…。」と押し掛けたカメノセタロウですこんばんは。なお、売ってくれませんでした。
今回は、前回できなかった仁徳天皇その人物そのもののお話しです。
伝説と歴史のはざまの時代の天皇で、4世紀頃の天皇と思われる仁徳天皇は、歴代の天皇の中でも特に優れた治世をおこなった天皇として知られ聖帝と呼ばれるほど。後世でも多くの為政者に「理想」として知られた仁徳天皇。課役免除の話しは学校でも習うほどに有名かと思います。
仁徳天皇、課役免除のお話し~民のかまど~
ある日、天皇は宮殿から外を見てました。「本日の『人民ドキドキ☆ウォッチング!』趣味は人間観察です」しかし、お食事時なのにご飯を炊く煙が上がっていないことに気づきました。
仁徳天皇「うそ・・・我が国の税率高過ぎ・・・?国民が飯を食う余裕もないなんて!」
仁徳天皇「都ですらこのありさまなら、遠く離れた地域はもっとえらいこっちゃやろこれ、人民が豊かになるまで税金免除すんでぞ!」
仁徳天皇「宮殿の修理とか屋根の葺き替えとかもせんでええわ。雨が降ったら雨漏りで、夜には屋根に空いた穴から星空が見える、毎日キャンプ気分さ!」
と、税金免除して三年後、食事時にはご飯を炊く煙も大いに上がり、人民は富んでまいりました。
仁徳天皇「おっしゃ、私はもうこれで豊かになった。心配ないな。」
皇后「宮殿も修理できず穴だらけ、雨が降れば水浸し。これのどこが豊かですねんな」
仁徳天皇「天が君主を立てるのは人民のためである。人民が貧しいのは私が貧しいのと同じであり、人民が豊かであれば私が豊かであるのと同じなんだ」ドドーン!
有名な『民のかまど』と言うお話しです。皆さんも一度は耳にしたことがあるかも。このような逸話が残るほど、『優れた名君・聖帝』の印象も強く、それゆえ江戸時代の人間も「優れた天皇なので墓も大きいんやろ」と今の大仙古墳を仁徳天皇の陵墓と考えたのでしょうが、そんな『聖帝』のあまり聞かない一面を紹介してゆきます。
聖帝は、土木工事好き。人身御供もバッチ来い!
後の時代にも土木工事を大いにおこない、人民から恨まれた天皇がおりますが、仁徳天皇もなかなかの土木工事好きです。なお、仁徳天皇の場合は、人民から恨まれずに喜ばれた模様。
即位11年目
高潮や洪水を防ぐために難波に水路を作って、大阪湾へ排水した。
淀川の決壊を防ぐために、堤防を作った。作っても壊れる難所が二か所あったところ、神が天皇の夢に出てきて「東京のAさんって人と、大阪のBさんって人を人身御供にしたらうまいこと行きまっせ」と述べたので実行。
東京のAさん「うえーん、やだよーぉ、死にたくないよぉ」ブクブクブクブ
大阪のBさん「おうおうおうおう!ほんまもんの神様なら、このヒョウタンを沈めてみい!それすらできんようなら、ほんまもんとは認められんな!!」河の神様、ヒョウタンを沈める事ができずBさん生存。
即位12年目
京都の宇治に農業用水路を作る。よってその土地の人は毎年豊かになった。
即位13年目
奈良市に農業用ため池を作る。大阪市に堤防つくる。
即位14年目
大阪市に橋を造る
大阪の難波から羽曳野市まで道路を整備。
現在の堺市あたりに農業用水路を整備、その地域の人民の生活が豊かになった。
大阪を中心として土木工事し過ぎじゃないですかね。当然、当時の土木工事は税金の一種として労役を人民に課すものだったでしょうに。とある天皇の土木工事の場合は無駄な公共事業だということで日本書紀にも「狂心」と書かれておるのかな、仁徳天皇の場合は必要な公共事業だった、と言うことでしょうか。
聖帝は色を好み、皇后に怯える
聖帝仁徳天皇はある日、歌いながらこんなことを言われました。
仁徳天皇「ららら~♪ 私には愛したい女がいるが、皇后の嫉妬が怖くて愛せないよ~♪ でも、何年も手を出さないうちに、この美しい女が老いていくのは嫌だよ~♪」
なんという、欲求にドストレートな歌なのでしょうか。分かる、分かるよ天皇、その気持ち。と仁徳天皇を身近に感じましたが、その後の展開がちょっと予想外
家臣「ほななんでっか~♪ その美しさが朽ちる前にワテがその女を妻にして面倒見ましょか~♪」
仁徳天皇「ほな、それでよろしく頼むで~♪」
あ、必ずしもその女を自分のものにしなければならないわけじゃないのね。心が広いと言うか、なんというか、身近に感じないよその感覚…。
またある日、天皇は皇后へ歌ってこう言いました。
仁徳天皇「ららら~♪ 妃を一人迎えたいんやがどうや~♪ 皇后のお前の予備にするためであって、お前がイケる時はお前だけなんやで~♪」
いや、そらあかんやろ、断られるやろこんなん。
皇后「あんた恐ろしい人やな。その人とベッド並べて寝るとか、あきまへん」
仁徳天皇「ららら~♪ その女の子は私と並んでいられると思ってるやろに、かわいそうやで~♪
皇后「あきまへん」
仁徳天皇「ららら~♪ 泣いt「あきまへん」・・・・」
ある日、皇后が和歌山へ。今がチャーンス!仁徳天皇はかねてから妃にしようとしていた女とベッドイン!皇后ご立腹、天皇のために和歌山でとってきたものを海へ投げ捨て「もう、帰ったらんわ!!あの女と仲良くしとき!!」狼狽する仁徳天皇、家臣を皇后のもとへ送り「帰っておいで愛しい君よ」のラブコール。それでも無理と知ると、天皇直々に呼び戻しに訪れるも、皇后は断固拒否。皇后は死ぬまで都へ帰ることはありませんでした。
聖帝仁徳天皇、寝取られる。
嫉妬深き皇后亡き後、新たに皇后(前の皇后のいない間にベッドインした女性)を迎えた聖帝。新たな女性に目を付けます。さすが、色男!
新たに目を付けられた女性は『雌鳥皇女』。仁徳天皇は、『雌鳥皇女』の異母弟『隼別皇子』に「ちょっとお前の姉ちゃん連れてきて」と命じます。ところがどっこい、この皇子、名前にハヤブサが付けられていることもあり、手が早い。異母姉の『雌鳥皇女』に手を出して自分の妻としてしまいます。
ハヤブサ、はっやーい!
それを知らぬ仁徳天皇、「雌鳥ちゃーん」と寝室へご訪問。その時、雌鳥皇女の機織り乙女たちが歌って「ららら~♪ 雌鳥ちゃんの織る服は、ハヤブサさんのための物~♪」仁徳天皇は、事の成り行きを知ります。「ぐぬぬ、ハヤブサやろうめ!!」
ところで、仁徳天皇も名前の一部に鳥に関する言葉が入っております。その鳥は「ミソサザイ」…。うん、鳥マニアじゃないとパッと姿が浮かぶ人は少ないでしょう。こんな鳥だそうです。
かーわいー!けど、遅そう。スズメより小さいそうです。
怒り頂点の仁徳天皇、しかし諸事情から我慢をしておりましたところ、こんな話しを耳にしました。
ある時、隼別皇子は雌鳥皇女に膝枕をしてもらいながら、こんなことを言っていたそうです
隼別皇子「なあなあ、雌鳥皇女よ。ハヤブサとミソサザイではどっちが速いかなぁ」
雌鳥皇女「ハヤブサが速いと思います
隼別皇子「やろ?やろ??だからハヤブサの俺の方が手が速かったんよーwwwうぴょぴょぴょぴょwww」
またある時、隼別皇子の家臣がこんな歌を歌っていました。
「ららら~♪ ハヤブサよ~空高く天翔けミソサザイを捕まえちまいなさいな~♪」
事ここに至って、仁徳天皇は決意します。「こらあかん、殺そう。」
隼別皇子と雌鳥皇女は伊勢神宮へ参拝途中で誅殺されることと相成りました。当時からあったんですね、お伊勢参り。
どうだったでしょうか、仁徳天皇のお話し。この古墳群が世界遺産へ登録された際にでも、この寝取られ物語を思い出してあげてくださいね。奈良や大阪には古代の数多くの古墳がありますが、その時代の人にも、それぞれ人生があり、悩みや浮気や欲望があったのだなぁと思うと、いろいろ不思議な感覚にもなります。
それでは、冷房のない部屋から出てカスタードシュークリームを食べに急ぎたいカメノセタロウでした。
けきぺろ存続の危機 ~噛みまくりの多忙共同ブロガー達~
けきぺろを地味に愛読してると告白してくれた友人から
ネガティブ界のポジティバー
という不思議な称号を賜り大変ご満悦なネガティブ界のポジティバーみつまりですどうもこんばんは。
さて、けきぺろを開設して5か月目に突入した訳で御座いますが、最近、冒頭の友人のように「実は読んでます」的な事を言って下さるリアル知人がぽつぽつと現れまして大変うれしい限りなのですけれども、その殆どのかたがパブリックな場ではなく個人的なLINEやDMやメッセンジャー的なもので密談するかの如く枕詞に「実は」を付けてこっそり伝えてくれるあたりに「けきぺろ=恥部」みたいなイメージが既に根付きつつある事を感じている今日この頃です。
本日もそんな恥部を量産するべくこちらに参上した次第・・・ですが
けきぺろを密かに愛読して下さっている21,660,606(フィルムレロレロって覚えてくださあああい)人の隠れ読者様のうち、お1人くらいはお気付きなのではないかなと思う「お伝えしなければならない事」が御座います。
当ブログのライター紹介をご覧ください
1週間に各ライターが1記事以上を書きます。
月か火に更新、みつまり。
水か木に更新、カメノセタロウ。
金か土に更新、よっぺぺ~い。
との記載がありますが、これ誰一人として守ってません。
私は基本暇人で協調性のかけらもないので投稿したい時に勝手に投稿したり、残る2人は多忙なので投稿出来ない週もままあったり。
この「ブログを予定の曜日に投稿出来ない事」を、けきぺろグループLINEでは「落とす」と称しておりまして(ちなみに投稿する事は「上げる」)、開設当初は誰が最初に落とすか殺伐とした腹の探り合いをも楽しむ余裕すらあったのですが、最近ではもう私が投稿しすぎる&残る2人が忙しすぎるのでなかなか連絡も取れず、最初は普通にタメ口での連絡だったのに今では2人からの連絡はもはや敬語での謝罪と化しております。
かくいう私も真面目な事しか書かない個人ブログ(ここリンクになってますのでもし良かったらこの辺を適当にクリックやタップ等をして閲覧や読者登録などして頂けると嬉しいです。あ、でも本当に普通に真面目な事しか書いていないので興味が無ければ全然もうアレしてくれていいんでホント全然大丈夫ですので)を始めまして、そちらに若干時間を割いているのと普通にネタ切れっていう事情もあり、これはけきぺろ存続の危機なのでは・・・と感じたのですが、グループLINEを遡って見返していたところ、落とす2人がその旨の連絡(という名の謝罪)をLINEにて送って来た時のLINEなのになぜか噛みまくるという動揺振りがなかなかのものだったので、今回の記事はカメノセタロウ氏とよっぺぺ~い氏の噛みっぷりをご覧いただく回とさせていただきます(ここまで前フリ)
それではご覧ください。
よっぺぺ~い氏
あれ、全然既読にならない、死んだのかな?と思っていた矢先に送られてきたあげたすあげめすあげます報告。
カメノセタロウ氏
私が某漫画のタイトルを口走った際(とりあえずその話題に乗っかってやるか)という透けて見える思惑と共に流れてきた摩訶不思議よけよぬよねからの唐突な落とします報告。
あのー2人とも・・・・
落としても大丈夫だからとりあえず落ち着いて
以上です。
悪名高き地下格闘技場を見に行きましたが、思てたんと違いました。
どうも、よーへいです。少し前におっかなびっくり地下格闘技場へ行ってまいりました。後3週間位更新してませんでした。理由としてはまあドラクエ買ったってのもデカいですね。合法ロリっ娘ベロニカかわいいです。見たい人はググってください。
v(^o^)v(^o^)v(^o^)v
地下格闘技の話お話です。
突然なんですが、僕は少年誌青年誌の読みすぎで「地下格闘技場」への確固たる偏見「雑居ビルの地下の一室、ステージ中央にて金網に閉じ込められた街の荒くれ者(前科最低1犯)たちが血と肉が飛び交うバトルを行い、勝敗が決まった際には現金が空を飛び交い葉巻を咥えた黒スーツのオジサンやスラム街で育った若い男女達が高笑いしてるような場所(義眼・義手の人・車椅子の人・右手が鉤爪に改造されている人も参戦している)」
が出来上がっています。(現金が空を飛び交うってのがキモですね)
ぶっちゃけ、程度に差はあれど皆さんこれに近いイメージを持ってんじゃないかなって思ってます。えっ思ってますよね。漫画で読んだことあるよね、そういうの。
僕が生きてきた世界とは交わらない世界で行われてると思ってた地下格闘技(というか本当に実在しててびびった)ですが、端的に言いますとめちゃくちゃしょぼかったので、地下格闘技 現実.Verを紹介させてもらいます。
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百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産へ推薦されるので、仁徳天皇のご紹介 ~前編~
趣味は古墳巡りです、カメノセタロウです。
平成29年7月31日の文化審議会で大阪の南らへんの「丘かな?と思ったら違うよ、古墳だよ」地帯の古墳群を世界遺産へ推薦することが決定されたそうなので、その中でも代表的な古墳の『大仙陵古墳』の被葬者だと代々伝わっている『仁徳天皇』のご紹介をば。
丘じゃないよ古墳だよ地帯
まずは『百舌鳥・古市古墳群』のご紹介
関西の土地勘がない人にとっては「その古墳群ってどこやねん!」ってなると思うので、大まかな位置関係をば。
ここらへん
で、大体の位置が分かったところで…。なに?こんなんでは分からへんやと?しゃあないなぁ、お姉ちゃんベッピンやからサービスしとくわ!もっと詳細なので言うと…。
ここいらなんですわ
ほら、目をこらしてごらん。見える、見えるよその古墳群が!!てなわけで、その姿がちゃんと見えるまでアップすると…。
漫画に出てくるようなカギ穴の形をしているのが前方後円墳
灰褐色のコンクリートジャングルに覆われた大阪の平野に点在する緑色の部分が、基本的に古墳です(もしくは大きな公園)。
この百舌鳥・古市古墳群に、4世紀から6世紀ごろの天皇の陵墓を含め100基近い古墳が現存しております。もともとは200基ほどの古墳があったんだけど、都市開発などで破壊されたんだよ!半分以上壊されてるとか、どんだけですかね。もっと文化財保護と、保護と両立できる活用を考えてかねばならんですね。
矢印で示したもの以外にもまだ数基の古墳がこの中に
この古墳群で代表的なデッカイ古墳は、『仁徳天皇』の陵墓だと伝わる『大仙古墳』と『応神天皇』の陵墓と伝わるものですね。
ちなみに、ドンくらいデッカイかと言うと、『大仙古墳』で、全長800m以上、全幅で600m以上です。当然ながら、エジプトのピラミッドよりでかいです。
デッカイどう
ピラミッドとの大きさ比較
どんくらい大きいか分かりやすくするために、同じ縮尺のギザのピラミッドと比較。
左が大仙古墳。右が三大ピラミッド、上からクフ、カフラー、メンカウラー。
てな感じになりました。ピラミッドもそうだけれど、日本の大型古墳も、現存していなければ、実在したことを信じる人なんて少数だったでしょうね。当時の日本の国力を考えても、なかなかに凄いことだなと思います。他にも、藤原京、平城京、難波京、恭仁京、長岡京などの都城建設ラッシュや、その途中での東大寺大仏造営など、昔から日本は大型の建造物を建てることが得意だったんですかね、ゼネコンの政財癒着が当時から!!
エジプトのピラミッドも半分が都市開発などで破壊されていたとしたら「アホちゃうかエジプト人」と思われるでしょうけど、我ら日本人は多くの古墳を破壊しております、今もなお、ナウで現在進行形ですing。「アホちゃうか日本人」。
ちなみに、高さに関してはピラミッドの圧勝です。一応それぞれの大きさに関する詳細データを。
大仙古墳 長さ:840m 幅:654m 高さ:35.8m
大ピラミッド 一辺の長さ:230m 高さ:138.7m
最大の古墳、『大仙古墳』。なんて習った?
さて、皆様はこの『大仙古墳』を学校の授業でどのように習ったでしょうか。年代や使用する教科書にもよると思いますが、おそらくは下の三つくらいに分けられるのではないでしょうか。
言葉そのままですが、それぞれの意味は。
大仙古墳:誰のお墓か正確に分からんから地名で呼んどこう。
てな感じでございます。
なんで「誰のか分からんねん!」と思う方もいらっしゃるかとは思いますが、1000年以上前の物と言うこともありますし、歴史書にも古墳を造った時のことは数文字程度しか書いてないのでございます、こんなデッカイもの造るくせに、あっさり!現代の私たちはスカイツリーくらいで大騒ぎしてるんですけどね。
さらに、どの古墳がどの天皇の陵墓であるかを調べたのが今から100年以上も前の江戸時代なこともあり、当時の考古学の水準なりに誠意を持って取り組んだのでしょうが、現代の考古学の見地からすると「いや、それはあり得へんわ」となってるものも多々あるのでございまする。そもそも、当時は発見すらされていなかった古墳もあるしね。そんな、江戸時代に『これは○○天皇の陵墓ね!』と判断されたものを基本的に現在の宮内庁も継承しており、学術的に「いや、ちゃいまっせ」となってる物も「いや、もう今更変えまへんで。今までの経緯や思いを大事にしまっせ」てなことになっております。なので、江戸時代には「これは天皇の陵墓ちゃうわ」と思われていたものが、現代では「これ天皇の陵墓やろ、発掘したろ!」となってるものもあります。良いんですかね宮内庁、天皇の墓荒らしをさせて。
ちなみに、大仙古墳から出土した遺物と称するものが、アメリカのボストン美術館にあったりします。大英博物館にも、他の天皇陵の遺物とされるものがあったり…取り戻さなきゃ!
ではそろそろ本題の仁徳天皇のご紹介を
しようと思ったところで、お墓の中に眠る仁徳天皇その人は後編にて。
ところで、先ほどもチラッと書きましたが、仁徳天皇の陵墓とされる大仙古墳の遺物らしきものが海外にあるのですが、なんとこれ、当時の県のトップ、現在で言う知事が関与しておると言う噂も。「え、大阪なのに県?」と思われるかもしれませんが、当時この付近は『堺県』と言う耳慣れぬ県だったのでございます。その範囲は、現在の奈良県と大阪南部(泉州)、大阪東部(河内)でした。やったね、当時の奈良在住民には海があった!そんなわけで、奈良県の社寺、正倉院の宝物の外部流出にもこのトップが関わっておるとかいう噂も。ここらへんは、個人的にまだ詳しく知らないので、また調べたら記事にするかもかも。
そんなわけで、仁徳天皇その人については一言も書かないカメノセタロウでした。
インドア人間的海水浴の楽しみ方 ~思い出ジャイアン大作戦~
暑中お見舞い申し上げます、みつまりです。
先日、海に行きました。
これな
上の画像は私が浜辺で日光浴に興じている様子です。
これを友人ピーに送ったりSNSに載せたりしたところ、見て下さった方々から「死体かと思った」「リカちゃん人形のミニチュア海辺撮影みたい」「まっすぐ」「白」「棒」「串」と、進むにつれて雑になる伝言ゲームみたいな感想を頂戴いたしました(大体合ってる)。
この画像が醸し出す白い棒感は、長年にわたる夜行性・インドア気質・不摂生をコツコツと積み重ねた成果で御座います、継続は力なりとはまさにこの事ですね。
そんなアウトドアに不慣れで全く泳げない私が、アウトドアに不慣れで全く泳げない人と2人で海水浴に挑戦したシーズンインザサマー
海に行ったは良いものの海で何をすれば良いのか分からず、とりあえず浮き輪を購入するも泳げない私達の脳内を「沖合で浮き輪の空気が抜けた時それは死を意味する」というハイリスクな標語(自作)が占拠しまして、足の着く範囲内で微妙に足を浮かせて漂う→冒頭の白い棒になるを繰り返しつつ浜辺を眺めていたところ
若い子達が至る所で、自撮り棒?って言うんですかね?あの「知らない人にわざわざお願いしなくても、良い感じの距離でセルフ自撮りが出来る近未来な棒」を持って自撮りをしているのが無数に視界に入りまして
これな
(ああ、あの人達は多分ここで撮った写真を今夜あたりインスタとかに上げたりするんだろうなー)なんて事を考えていたんですけれど、そこで私はふと気付いてしまったのです
「あれ?これってもしかして、どこの誰かも知らないあの人達の背景に映り込んだら、他人のSNSに紛れ込めるんじゃない?」と。
そんな事をして何になるのか何の得があるのかと聞かれれば、それはもう『ズームイン!!朝!』のお天気コーナーや『笑っていいとも!!』のオープニングや『とくダネ!』のあまたつさんのお天気コーナーの背景に映り込みたい人と完全に同じ心理ですとしか答えられません。
思い立ったが吉日、速やかにそれは実行されました。
題して
☆「お前の思い出は俺のもの、俺の思い出も俺のもの」思い出ジャイアン大作戦☆
手順は以下の通り
1.自撮り棒で自撮りしてる人達の遠まきをウロウロして他人の自撮りの背景にさり気なく見切れる
2.後日、インスタやツイッターにて行った海のハッシュタグサーチ
3.見切れている自分達を発見
他人のSNSの思い出が自分達の思い出に!!
私達はさり気なさに注意を払いながら浅瀬を右往左往し続けました。
とは言えですよ、最近の子ってすごいじゃないですか、自撮りする時って大体SNSに載せる事を意識してるでしょ。
山本さほさんも『岡崎に捧ぐ』の中で書いていらっしゃいましたけど、ネット上が「殺るか殺られるか」みたいに殺伐としていた時代を知る者としては、そんな場所に顔面を載せるなんて未だに信じられないというか・・・
でも、けきぺろ共同ブロガー高木よーへいくんも初回記事から顔面載せてたし、なんか分かんないけどそういう時代なんだろうなという感じで別に良いのですが、それの何が凄いって、意識的か無意識かは分かりませんが、皆さんもれなく撮影時には愚かな私達はおろか他人を一切映り込ませないように撮り方を工夫しているんですよね。
SNSに載せるのを前提にした撮影なので、後で加工するのは自分達の顔面だけで済むようにちゃんとうまい具合にアレしてるんですよ、いやホント最近の若い人の撮影技術まじですごいよ、何らかの職人芸ですよあれはもう。
ですので(ぱっと思いついたけど、そんな簡単に映れるもんでもないだろうなぁ・・・万が一映ってたとしても、何枚も撮ってる中でSNS用として厳選される一枚にその画像が使われる確率なんてめちゃくちゃ低いだろうなぁ・・・)なんて事を思いながら、適当に水遊びしつつウロウロしてました。
そして、数日後に面白半分期待半分でハッシュタグサーチした結果がこちらです
映ってた
名も知らぬ彼女達の思い出が、間違いなく私達の思い出にもなった、とある夏の奇跡でした。
まだまだ暑い日が続きますのでくれぐれもご自愛ください。
以上です。
追伸:個人ブログ始めました。真面目なやつですが宜しければ覗いてやってください。