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百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産へ推薦されるので、仁徳天皇のご紹介 ~前編~

趣味は古墳巡りです、カメノセタロウです。

平成29年7月31日の文化審議会で大阪の南らへんの「丘かな?と思ったら違うよ、古墳だよ」地帯の古墳群を世界遺産へ推薦することが決定されたそうなので、その中でも代表的な古墳の『大仙陵古墳』の被葬者だと代々伝わっている『仁徳天皇』のご紹介をば。

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丘じゃないよ古墳だよ地帯

 

 まずは『百舌鳥・古市古墳群』のご紹介

関西の土地勘がない人にとっては「その古墳群ってどこやねん!」ってなると思うので、大まかな位置関係をば。

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ここらへん

 で、大体の位置が分かったところで…。なに?こんなんでは分からへんやと?しゃあないなぁ、お姉ちゃんベッピンやからサービスしとくわ!もっと詳細なので言うと…。

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ここいらなんですわ

ほら、目をこらしてごらん。見える、見えるよその古墳群が!!てなわけで、その姿がちゃんと見えるまでアップすると…。

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漫画に出てくるようなカギ穴の形をしているのが前方後円墳

 灰褐色のコンクリートジャングルに覆われた大阪の平野に点在する緑色の部分が、基本的に古墳です(もしくは大きな公園)。

この百舌鳥・古市古墳群に、4世紀から6世紀ごろの天皇の陵墓を含め100基近い古墳が現存しております。もともとは200基ほどの古墳があったんだけど、都市開発などで破壊されたんだよ!半分以上壊されてるとか、どんだけですかね。もっと文化財保護と、保護と両立できる活用を考えてかねばならんですね。

f:id:kamenosetarou:20170804152807j:plain矢印で示したもの以外にもまだ数基の古墳がこの中に

 この古墳群で代表的なデッカイ古墳は、『仁徳天皇』の陵墓だと伝わる『大仙古墳』と『応神天皇』の陵墓と伝わるものですね。

ちなみに、ドンくらいデッカイかと言うと、『大仙古墳』で、全長800m以上、全幅で600m以上です。当然ながら、エジプトのピラミッドよりでかいです。

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デッカイどう

 

 ピラミッドとの大きさ比較

 どんくらい大きいか分かりやすくするために、同じ縮尺のギザのピラミッドと比較。

f:id:kamenosetarou:20170804153354j:plain左が大仙古墳。右が三大ピラミッド、上からクフ、カフラー、メンカウラー。

 てな感じになりました。ピラミッドもそうだけれど、日本の大型古墳も、現存していなければ、実在したことを信じる人なんて少数だったでしょうね。当時の日本の国力を考えても、なかなかに凄いことだなと思います。他にも、藤原京平城京難波京恭仁京長岡京などの都城建設ラッシュや、その途中での東大寺大仏造営など、昔から日本は大型の建造物を建てることが得意だったんですかね、ゼネコンの政財癒着が当時から!!

エジプトのピラミッドも半分が都市開発などで破壊されていたとしたら「アホちゃうかエジプト人」と思われるでしょうけど、我ら日本人は多くの古墳を破壊しております、今もなお、ナウで現在進行形ですing。「アホちゃうか日本人」。

ちなみに、高さに関してはピラミッドの圧勝です。一応それぞれの大きさに関する詳細データを。

大仙古墳   長さ:840m 幅:654m 高さ:35.8m 

大ピラミッド 一辺の長さ:230m 高さ:138.7m

 

最大の古墳、『大仙古墳』。なんて習った?

さて、皆様はこの『大仙古墳』を学校の授業でどのように習ったでしょうか。年代や使用する教科書にもよると思いますが、おそらくは下の三つくらいに分けられるのではないでしょうか。

言葉そのままですが、それぞれの意味は。

 仁徳天皇陵古墳:仁徳天皇のお墓でっせ。

仁徳天皇陵古墳:仁徳天皇のお墓と昔から言われてまんねん。

大仙古墳:誰のお墓か正確に分からんから地名で呼んどこう。

てな感じでございます。

なんで「誰のか分からんねん!」と思う方もいらっしゃるかとは思いますが、1000年以上前の物と言うこともありますし、歴史書にも古墳を造った時のことは数文字程度しか書いてないのでございます、こんなデッカイもの造るくせに、あっさり!現代の私たちはスカイツリーくらいで大騒ぎしてるんですけどね。

さらに、どの古墳がどの天皇の陵墓であるかを調べたのが今から100年以上も前の江戸時代なこともあり、当時の考古学の水準なりに誠意を持って取り組んだのでしょうが、現代の考古学の見地からすると「いや、それはあり得へんわ」となってるものも多々あるのでございまする。そもそも、当時は発見すらされていなかった古墳もあるしね。そんな、江戸時代に『これは○○天皇の陵墓ね!』と判断されたものを基本的に現在の宮内庁も継承しており、学術的に「いや、ちゃいまっせ」となってる物も「いや、もう今更変えまへんで。今までの経緯や思いを大事にしまっせ」てなことになっております。なので、江戸時代には「これは天皇の陵墓ちゃうわ」と思われていたものが、現代では「これ天皇の陵墓やろ、発掘したろ!」となってるものもあります。良いんですかね宮内庁天皇の墓荒らしをさせて。

ちなみに、大仙古墳から出土した遺物と称するものが、アメリカのボストン美術館にあったりします。大英博物館にも、他の天皇陵の遺物とされるものがあったり…取り戻さなきゃ!

 

ではそろそろ本題の仁徳天皇のご紹介を

 しようと思ったところで、お墓の中に眠る仁徳天皇その人は後編にて。

ところで、先ほどもチラッと書きましたが、仁徳天皇の陵墓とされる大仙古墳の遺物らしきものが海外にあるのですが、なんとこれ、当時の県のトップ、現在で言う知事が関与しておると言う噂も。「え、大阪なのに県?」と思われるかもしれませんが、当時この付近は『堺県』と言う耳慣れぬ県だったのでございます。その範囲は、現在の奈良県と大阪南部(泉州)、大阪東部(河内)でした。やったね、当時の奈良在住民には海があった!そんなわけで、奈良県の社寺、正倉院の宝物の外部流出にもこのトップが関わっておるとかいう噂も。ここらへんは、個人的にまだ詳しく知らないので、また調べたら記事にするかもかも。

 

そんなわけで、仁徳天皇その人については一言も書かないカメノセタロウでした。