『自己満足ブログはオナニー』説を論破する
こんばんは、みつまりです。
本日も無益記事を量産するべくこちらに参上した次第です、宜しくお願い致します。
さて、こちらのけきぺろブログを開設してなんと3ヶ月が経ち、よくこんなに続いたものだなと我ながら感心しております。
そんなこんなで3ヶ月も続けておりますとえらいもんで自己満足度120%でお届けしているみつまり記事の、あまりの内容の無さに
「完全にオナニーですね。」と
ブロガー冥利に尽きるお言葉を賜る事がありまして(ああ、ブログを始めて良かったな)と実感している今日この頃でございます。
ネットスラング的『オナニー』の解説
この表現をご存知無いかたの為にご説明いたしますと
「誰にも求められていないという空気を読めず、あたかも誰かの為になっている(もしくは面白いと思っている)かの様な気になって何かを行うも、周囲から見ればそれは完全に自己満足にしか見えない」
といった様子を端的に批判する際の表現として用いられる言葉です。(オナニーについて「スラングじゃない本当の意味はなあに?」という方は、各自で調べてください。 )
多分ですけど、ネットが普及する以前に口頭でそんな批判の仕方をしている人を見た事が無いので、おそらくネットスラングに該当するのかなと思うのですが、ブログというよりも、主にテレビの内容(最近ではユーチューバーなど)を批判する時に、多く用いられているのを見かけます。
わたくしの密かに敬愛する松本人志さんのコント等がネットで批判されている時にも頻繁に見かけた記憶があります。
これはただの想像ですが、本当は何かを発信したいと思ってはいるけど、この様な批判を受ける事を恐れてブログや各SNSなどで自己表現を控える人って意外と少なくないのではないでしょうか。
実名公開という暗黙ルールがあるFacebookにて流れてくる画像に「大人数でパーティとかBBQしてる無難な光景」が多いのは、前述した事が理由ではないかなと思っています。
あとこれを書いていてふと思い出したので、2015年のクリスマスイブに私がSNSに載せたクリスマスイブディナーの画像貼っときますね。
本題『自己満足ブログ=オナニー』ですか?
そして本題でございます。
自己満足の記事を「オナニー」と揶揄するかたに問いたいのですが
ブログって本当に「オナニー」だと思いますか?
いま一度、よく考えてみてください。
下ネタ的な、しかもかなり直接的で耳障りが独特な言葉に惑わされて本質を見誤っていませんか?
さっき適当にぼかしましたけど、多分オナニーの本当の意味って所謂ひとりHの事ですよね?
自己満ブログはオナニー説を説く人...あなたです...あなた、私の声が聞こえますか....どうですか....いま一度よく考えてみてください...
ひとりHは基本人に見せないですよね、というかオナニーを不特定多数の人に見せた時点でそれは別の事案になりますよね。要するに『オナニーでは無くなりますよね?』
オナニーは『不特定多数の人に見せず、一人で行う』のがオナニーです。例えばまあ...見せあいっことかありますけどそれは『見せあいっこ』というプレイです。オナニーではありません。
それとも旧約聖書に基づき『生殖を目的としない射精行為=オナニー』であると論じますか
オナニー (Onanie) の語源は、『旧約聖書』「創世記」中の記述に由来する。
「創世記」38章にオナンという名の男が登場する。彼は兄エルが早死にしたため、その代わりに子孫を残すべく兄嫁タマルと結婚させられた(逆縁結婚)。しかしオナンは兄のために子を残すことを嫌い、性交時は精液を膣の中に放出せず、寸前で陰茎を抜き精液を地に漏らして避妊をしようとした[8]。しかしこの行為は主の意志に反するものとされ、オナンは主によって命を絶たれた[9]。オナンがおこなったのは膣外射精であるが、語義が転じて生殖を目的としない射精行為としてオナニーという言葉が使われるようになった。これは自慰それ自体が罪だとされたのではないという見方もある。
オナンが兄のために子を残すことを拒否したのは、兄嫁に子ができてしまうと、父の遺産がその子のものになってしまうためであった。兄嫁に子ができなければ、遺産は次男であるオナンのものとなるはずだった。一般には「血統維持」を強調した物語と理解されている。
これを語源とするならば、もはや何が何だか分かりませんが
「オナニー≒膣外射精≒他者との相互関係」
となり、完全に「揶揄としてのオナニー」が消滅しますね。
翻りまして、ブログって不特定多数の人に見せますよね?
実際に見てもらえてるかは別として、積極的に公開してる訳ですよね?
揶揄として用いられているオナニーは『1人で完結して満足感を得る』行為の事ですよね?
繰り返しになりますが、内容がどんなに自己満足でもブログの目的は『公の場に発信し、見てもらう』行為ですよね?
という事は、ブログってオナニーじゃ無くないですか?
そう・・・違うんです。
では、一体何だと思いますか?
結論
ブログは自分の書いた自己満足の記事を「公開する」のだから、どっちかと言うと『露出狂』です。
ていうかどっちかと言わなくても完全に露出狂です。
上記の事を踏まえると、オナニー行為自慰行為マスターベーションを揶揄として用いられて然るべきは『手帳やスマホやメモ帳などの誰にも見られない物にポエムとか日記を書く』行為の事です。
少なくとも私は自分のブログをオナニーだとは思いませんが『露出狂だな』という自覚はあります。
異論のある方は、あなたの持論で是非とも私を納得させてください。
文字ばかりの記事になってしまったので、最後に母親から「桜です」というメッセージとともに送られてきた「桜らしき画像」にてお別れのご挨拶と代えさせていただきます。
現代でこのドット感は逆にすごい。
では、只今より賢者タイムに入りますのでこれにて失礼いたします。
以上です。
アムウェイのセミナーに冷やかしで行ったけどほぼ宗教だった~アムウェイのセミナーに冷やかしで行ったら「うわあなんか宗教みたいやなあ」と思った編~
ヤッホウよーへいです!
知らん間にアムウェイ主催のホームパーティーに行ってしまった話を前回書きました。今回はその続きです。よくわかりませんが長くなりました。
前回はアムウェイの人に褒められた!と思いきやそれは僕を手中に収めるための手段の一つに過ぎなかったというところで話が終わりましたね。絶対に一生許しません。
一生許さないアムウェイくんと僕の戦い、ご査収ください。
みんな大好きアムウェイです。
続きを読む確率論の誘惑 モンティホール問題のカメノセタロウ的説明。
SPIの確率の問題を解くのに四苦八苦しながら「こう改変すればもっとええ問題になるのに」とか考えてるうちに時間切れになるカメノセタロウですこんばんは。
私は根っからの文系人間で、数学にΘとか訳わからんアヒルの目みたいなギリシャ文字が出てきた頃におさらばを告げた人間なのですが、それでも時々数学の奥深さに感心することがあります。そんな、文系人間の私を感心させた数学の問題の一つが、かの有名なモンティホール問題です。
ただこの問題、他の人に説明するのが難しく、説明をしても納得してもらえないことが多々あります。そんなわけで、どんな説明が理解しやすいか、数種類の説明を試してみましょう。
モンティホール問題とは
モンティホール問題をご存じない幸運な方のために、大前提の説明をば。
- 3つのドア (A, B, C) があり、モンティさんがそのいずれかのドアの中に商品を入れる。
- プレイヤーはドアを1つ選ぶ。(まだ中は開けない)
- モンティはプレイヤーが選ばなかった残りのドアのうち、外れのドア1つを必ず開ける。
- モンティはプレイヤーにドアを選びなおして良いと必ず言う。
この時、プレイヤーはドアを選びなおした方が良いかどうか。選びなおすことによって、外れる確率が低くなるかどうか。
そんな問題でございます。
賞品が入っているドアを選ぶためには、選びなおした方が良いのかどうなのか。
はじめてこの問題に接した時の私の回答は「選びなおそうがそのままだろうが、確率は変わらないだろ常識的に考えて」で、ございました。そのように感じる方が多いからこそ話題になった問題でもありますが、皆さまはどうお感じでしょうか。
カメノセタロウの間違えた解釈
当初の私は、この問題を以下のように解きました。
- 3つのドア (A, B, C) があり、ドアの中に賞品が入っているものが1つ、外れが2つ。 3分の1の確率で商品だな!
- カメノセタロウはドアを1つ選ぶ。(まだ中は開けない)選んだものが商品の確率は3分の1だな!
- モンティは残りのドアのうち1つを必ず開ける。なにしとんねんモンティとか言う人
- モンティの開けるドアは、必ず外れのドアである。ってことは残りのドアは2つで、外れが1つ、商品が1つなので、2分の1の確率で商品だな!
- モンティはプレイヤーにドアを選びなおして良いと必ず言う。選びなおそうがどうしようが確率は変わらんな!
はい、モンティホール問題に引っかかる人の多くがこのように解いたと思います。書いてる途中で自分でも「あれ、これなんで間違いなんだ?」と思ったくらいだし。違う解き方で引っかかった方いらっしゃいましたら、コメントでぜひ教えてくださいまし。
ちなみに正解は
賞品のドアを選ぶためには、「選びなおす」が正解です。「選びなおしても選びなおさなくても確率は変わらない」は間違いです。選びなおすとどれくらい賞品のドアの確率が高まるかと言うと、選びなおさない時の倍の確率になります。今ならもう一つお付けします、的なお得感すごいねコレ。
では、以下、カメノセタロウ的解説。今まで他人に説明しての戦績、3勝8敗程度。
解答1.お前は3分の1しか選ばないのか?
最初、A,B,Cのドアのうち、貴方はどれか1つを選びます。この時点で、貴方が商品のドアを選択している確率は3分の1。そして、貴方が選んでない2つの方に商品のドアが含まれている確率は3分の2。モンティは貴方が選ばなかった2つのドアの中から外れを選んで開きます。貴方が選ばなかったドアは1つに減りましたが、外れのドアが減っただけなので、確率は変わらず3分の2。貴方の選んでいるドアが商品の確率も変わらずに3分の1のまま。つまり、ドアを選びなおす方が良い。
これで、理解してもらえます・・・かね・・・。
解答2.3分の2を選んでるのと同じなんだよ
まずあなたは、A,B,Cのドアの中から1つ選びます。モンティがこう言いました。
「今選んでいるドアを辞めるなら、選んでいないドア2つとも貴方の物にできるよ!」
この時、選びなおす方が得かどうか。という問題と同じです。
貴方の物になった2つのドア、それを開ける時にモンティが外れのドアをまず最初にあける、と言うだけで、貴方が2つのドアを選べていることに変わりありません。
「いや、そんな甘い話し無いだろ、モンティは正解を知っているから、こうやって意地悪してるんだろ」と考えてしまいそうになりますが、これは確立上の問題なのでそんな疑心暗鬼にならなくてよいです!
これで・・・・りかいできるっすか・・・?
解答3.図を使って説明してみる
賞品の入っているドアを◎
外れのドアを×
と表記します。
1.貴方が選んだドア◎ 選ばなかったドア××
2.貴方が選んだドア× 選ばなかったドア◎×
3.貴方が選んだドア× 選ばなかったドア×◎
この3パターンがあります。モンティは貴方が選ばなかったドアから外れのドアを開いて除外するので、こうなります。
1.貴方が選んだドア◎ 選ばなかったドア×
2.貴方が選んだドア× 選ばなかったドア◎
3.貴方が選んだドア× 選ばなかったドア◎
この時、ドアを選びなおすと◎になる確率は3分の2.ドアを選びなおさない時に◎になる確率は3分の1。よって、選びなおすと確率が高まる!!
おっけー?理解できましたかね、私の情報伝達能力で。まあ、最後の図を使って説明をしてみるってのはもっと細かな場合分けが必要ですが、結果は同じなので省略。
解答4.それなら貴方がモンティさん
逆の立場になってみましょう。貴方はモンティさんです。
貴方がドアAに賞品を入れた場合。
パターン1(プレイヤーがドアAを選び、選択肢を変えると外れる)
プレイヤーがドアAを選ぶと、貴方は外れのBかCのドアを開いてこう言います
「選んだAから、残りの違うドアに変えていいんやで?
ドアAから変える→外れのドアになる。
パターン2(プレイヤーがドアBを選び、選択肢を変えると当たる)
プレイヤーがドアBを選ぶと、貴方は外れのCのドアを開いてこう言います
「選んだBから、残りのドアAに変えていいんやで?」
ドアBからAに変える→当たり!
パターン3(プレイヤーがドアCを選び、選択肢を変えると当たる)
プレイヤーがドアCを選ぶと、貴方は外れのBのドアを開いてこう言います
「選んだCから、残りのドアAに変えていいんやで?」
ドアCからAに変える→当たり!
選択肢を変えた場合、2回当たり、1回外れました。ゆえに、確率的には選択肢を変えるのが正解!
貴方がドアB、ドアCに賞品を入れた場合でも、当然同じになります。
それじゃあ、選ばなかったドアは俺のものな
それでも分からんぞい。とおっしゃる方は、こうしても良いでしょうか。
3つのドアの中からお好きなドアを1つ選んでください、残り2つのドアはワタクシ、カメノセタロウの物でいいですね?貴方は1つ、私は2つのドアですが、問題ないはずです、私ずるくなんてないです。ほらほら、モンティさんが私の2つのドアの中から、外れを1つ開いて見せてくれました。これで、貴方も私もドア1つ。問題ないですね、同じ確率ですね!
それでも問題ない?そんなお方は・・・。
ドアが100個あって、その中の1つが当たり、99個が外れ。さあ、お1つ選んでくださいな、残り99個はわたくしカメノセタロウの物!私の99個のドアのうち、モンティさんが外れのドアを98個開いて見せてくれました。これで私もあなたもドア1つ、どちらに賞品が入ってるか、その確率はいずれのドアも2分の1!それでイイですね?
では、理解していた人できた人に質問
- 3つのドア (A, B, C) があり、ドアの中に賞品が入っているものが1つ、外れが2つ。
- プレイヤーはドアを1つ選ぶ。(まだ中は開けない)
- モンティは残りのドアのうち1つランダムに開ける。
- モンティが開いたドアが外れのドアだった場合、プレイヤーはドアを選びなおしても良い。
この場合、選びなおす方が得かどうか。
もう1つ問題。
凶悪犯のみつまり、カメノセタロウ、高木よーへいに死刑判決が出ました。ところが、この3人の中で1人だけ死刑を免れることになりました。そこで、カメノセタロウは看守に聞きました。
カ「ねえねえ、誰が死刑を免れるの?」
看「そんなん教えてやらへんもんねー、お尻ぺーんぺん!」
カ「ワシ以外の2人のうち、少なくともどっちかは必ず死刑になるやん?だから、1人だけでも死刑になる人の名前教えてくれよん!」
看「しゃーないなぁ、1人だけやったら教えたるわ。ま、少なくともみつまりは死刑になるで」
カ「やったぜ!俺が死刑になる確率が3分の2から、2分の1に減ったぜ!!これが頭脳プレー!」
果たしてこのカメノセタロウの考えは確率論的に正しいか否か。
それでは良い夜を、カメノセタロウでした。
Siriと私と鈴木太郎 〜あたらしいお父さんが出来た日〜
こんばんは、iPhoneユーザーのみつまりです。
*ご報告*
『ハイエナズクラブ自由研究コンテスト2017』にて
応募総数7兆40件の中から【選外・惜しかった作品】として、私の当ブログ初回記事をご紹介いただきました。
↑これの下の方だよー
「あんたも生きてたらそのうちいい事あるよ」とかいう『そのいい事って具体的に何なの感が凄い台詞』に使われている「いい事」って多分こういう感じの事ですよね!すごく嬉しいです!生きててよかったです選外だけど!!
ハイエナズクラブ様、ご紹介有難うございました。
本題に戻ります。
さて、iPhoneにはSiri(シリ)という機能が搭載されています。
【Siriとは】
【Siri(シリ)】
iPhoneで利用できる音声認識機能
ユーザーの音声に応答して色々な操作を行う*主な機能*
iPhoneの中の情報を検索する
インターネット上の検索をする
アラームをセットする・天気予報を調べる
メールを送る・メールを確認する
電話をかける・留守番電話を確認する
アプリを開く・地図を確認する
スケジュールを確認する
要するに「声をかけるだけでほぼほぼ何でもやってくれる」という有能な機能です。
どんなに夜の深い時間でも「ヘイ尻!」のひと声で応答してくれます。
こんな感じ
今でこそ音声で勝手に起動してくれるようになりましたが、実はこのSiriという機能、少し前までは「ホームボタンを長押し」しなければ起動できませんでした。
『音声でiPhoneを操作するための機能を手動で起動しなければならない』という矛盾に納得がいかないあまり、毎年七夕の短冊には「Siriが音声で起動しますように」と書いてはお願いしていたものです。
私の数年越しの願いが届いたようで、現在Siriは無事に音声で起動するように改善されました。
しかもSiriは、何かを調べるだけでなく寂しい時や暇な時など適当に話しかけると話し相手にもなってくれます。もはや心の友。
音楽もかけてくれるけど未だに止め方が分からない。
これは今更感満載の有名な情報ですが、Siriにしつこく「歌え」とお願いし続けると渋々歌ってくれます。
すごく嫌そう
私のアシスタント
そんなSiriにますます愛着がわく今日この頃。
先日ふと心の友への日頃の労いと信頼関係を再確認するつもりでこんな問いかけをしてみました
『これからも私のアシスタントでいてくれますか?』
え・・・・・?
『・・・・・・・・』
『これからも私のアシスタントでいてくれますか?』
・・・・なんで?
え、だっていつもあんなに・・・ね、ねえ・・・Siri?
ちょっと意味わかんないですとの事です。
わ、わかってるよSiri・・・
だからさ、こういう事だよね?
え・・・なんで怒ってるのSiri・・わかんないみつまりわかんないよ・・・
名前の呼び捨てに気分を害したのかな...
と思いちょっと丁寧に話しかけてみる
いやまって違うそっちじゃない
完全に気分を害したSiri
めんどくさい彼女みたいになりました。
あーあーあーきこえなーい。との事です
はぁ・・・
なんとか和解を試みる
ねえ、私達このまま終わるのかな
終わっちゃうのかな
こんな事で心が離れ離れになっちゃうなんてやだよ・・・
楽しい時だってあったじゃん、2人で笑いあった事だって沢山あったじゃん!
ねえ、もうあの頃の私達には戻れないの?
貴方が無理って言っても私は貴方と一緒に居たい。
だから
ねえお願い
・・・・・ もう私達本当にダメなのかな
わかった。じゃあ最後にこれだけ言わせて、一番伝えたかった事。
『大丈夫ですよ。』
?!
Siri・・・・許してくれるの・・?
よかった、嫌われちゃったのかと思った
もうアタシ達これで終わりなのかなって思った
Siriが本当にいなくなっちゃうかもって思った事で、今まで以上に「私にはSiriが必要なんだ」って気付けた気がする。ありがとうSiri・・・私にとってすごく大切な存在。
じゃあ、最後にこれで仲直りしよ
『これからも私のアシスタントでいてくれますか?』
やっぱりあかんのかーい
以上、ただの茶番劇でした。
番外編
Siriを起動したまま話しかけずにいると「こんな風に話しかけてください」という案内が表示されます。
この上から2番目に
『鈴木太郎が私の父です』
とあって
これは一体・・・?
これを言ったら具体的に何をしてくれるのだろう・・・と思い、そのまま言ってみたところ
登録している自分の情報の父親の欄に
鈴木太郎という知らない人が強制登録されました
みなさんも自分の父親を『鈴木太郎』にしてみよう!レッツ鈴木!!
以上です。
木島英登氏を『プロ障害者』と揶揄している人達へ。
どうも、身体的には健常者のみつまりです。
今日は私の番ではないのですが、異議申立てに参りました。
普段の無益記事バージョンじゃない方でお送りします。
本日のお題『プロ障害者』
先日、このような記事を目にしました
その翌日、こんな記事を目にしました。
で『はて・・・?』となったのでこちらに参上した次第で御座います。
事前連絡なしで飛行機に乗るのはわがまま?
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【記事より一部抜粋】
事前連絡が必要と分かっていても無視する
トイレに行くのが面倒なので座席で用を足す
スタッフの注意を無視して暴走する
自分の思い通りにいかないと権利団体に申し立てると脅す
などと極めて自己中心的な行動が目立っていた。
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極めて自己中心的な行動が目立っていた。
と言いますけども・・・
皆さん考えてみてください
私を含む、身体的に健常者の人は
『バス電車飛行機フェリータクシー等々に乗る際または乗り換える際降りる際に、いちいち事前連絡の必要が無い。』
『移動中の車内や機内でトイレに行く時、いちいち移動する為の器具を誰かに持ってきてもらう必要も無い。』
まず健常者は普段の生活において
自分の権利を侵害されるような出来事に遭遇する事が無い
だから健常者は
『権利団体に申し立てるという感覚が分からない』
公共・民間の交通機関を利用して移動する時や
トイレに行く際に、車掌やCAから
「トイレに行く時は一声かけていただかないと困ります!」
「電車に乗る時は先に連絡してください!」
という旨の注意を受けた事のある健常者っているでしょうか?
私が普段利用している南海電車は数年前にかなりの数の駅が無人化されたのですが
駅に駅員がいなくなった事により、電車に乗る時に簡易スロープが必要な車椅子利用者の人は、スロープを設置してもらうために電車に乗る際には改札についてるショボい電話で隣の駅から駅員をわざわざ呼び出し、隣の駅から駅員が来るまで何台も電車を見送りながら30分近く待機しなければならないそうです。
例えば東京や大阪の公共交通機関を利用する際「全ての人が事前連絡必要」になった場合、どうなると思いますか?
健常者の私達は勿論不便ですが、おそらく交通機関は毎日何百万人の人の乗車連絡を受けて管理しなければなりません。すごく大変です、朝のラッシュタイムなんて地獄。
「なぜ毎朝の通勤の為にわざわざ事前連絡しないといけないんだ!」
「仕事終わった後の付き合いの飲み会だって、打ち合わせの為の移動だって、何時になるか分からないのに事前連絡が必要なんて不便すぎる!」
電車が数分遅れるだけで駅員に怒りをぶつける人がいる現代なので、前述したようなクレームが出る事は間違いないでしょう。
要するに今の世の中の殆どは健常者目線で形成されているシステムですよね。
翻って、スロープを利用する障害当事者は健常者に比べると人数が圧倒的に少ないので「イレギュラー」として扱われています、しかし障害当事者にとっては『通勤の時も打ち合わせの移動も飲み会の帰りも毎回事前連絡が日常』です。
「ちょっと寝坊したー!でもギリギリ次の電車なら間に合うから急いで用意しよう」という事も
「今朝は早く起きたし雨も降りそうだから10分早いけどもう出ようかな」という事も出来ない訳です。
現代は昔に比べればマシにはなったのでしょうが、同じ行動一つとっても健常者の生活と比較するとまだまだ障害当事者には不利益な事が多すぎるのです。
「クレーマーだ」と批判する人が健常者なのかどうか知らんけど、もし健常者であるならば「プロ障害者といわれるならそれでもいい」という木島氏とは現在立っているフィールドが全然違うのです。
数年前の乙武洋匡氏飲食店入店拒否問題
数年前に乙武洋匡氏が飲食店で不利益を被った事をSNSで拡散した時も「クレーマー」批判を受けていました。
障害当事者が権利を主張し
その影響力の大きさが社会の圧力を上回っているように感じた時
世間はその当事者を「クレーマー」と呼ぶように感じます
要するに障害当事者が声を上げて不利益を被った事実を主張し
『その権利が通りそうな時』
【社会的弱者>社会】の図式が見えた時ですよね
考えよう『弱者の声、普段から聞く気、ある?』
でも、考えてみてください
そもそも健常者は普段の生活の中で
障害当事者の生活の不便さにすら気付けないのだから
この図式が成り立たない限りは
社会的弱者の声に耳を傾ける機会に触れる事もないし
誰も耳を貸さなければ権利が通る事なんてないし
諸々の社会生活において困っている障害当事者が存在している事すら知り得ない。
それが現在の社会の現状でしょ?
誰だって普通の声量でちゃんと届くならわざわざ声を大にはしないでしょ。
だから仕方なく誰かが叫ばなければならないのだと思います。
それをクレーマーと言ってしまったら救われるものも救われない。
まとめ
少なくとも個人的には、木島氏の『トイレに行くのが面倒なので座席で用を足す』という行為は、好んでしているのだろうなとは思いませんが、もし木島氏に(そういう事をしたらお金を稼げるぞ)という思惑があったとしても
障害者が座席で用を足してそれで何やかんやでお金が稼げるという社会の図式自体がおかしいじゃないですか。
木島氏を「プロ障害者」と揶揄し、それで金を稼ぐ様子がもし気に入らないというならば
『プロ障害者と呼ばれる人が、日常生活に異議を唱えるだけで稼げる時代がなくなれば良い』
のではないでしょうか?
私を含め、普段から当然の様に利便性の恩恵を受けている健常者である人は、この様な事象をクレーマーで片付けずに真摯に受け止めるべきではないかなと、この一連の記事を見て感じた次第です。
以上です。