ケーキをペロペロする奴は大体友達

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ノーインターネットノーライフ 言うてますけど

【詭弁】知っている人について行ってはならない。

お暑い中、御久しゅうございます、カメノセタロウです。

3カ月程度前に、3人が3日連続で記事を書いて以降、ぱたりと更新が途絶えておりました。喧嘩した訳でもなく、集団自殺した訳でもなく、皆元気にだらけておりました。かしこ。

 

『仏さんの言うこと守ろうと努力する善人ですら仏さんに救われるんやから、努力しとらん悪人は当然仏さんに救われるで!』(意訳)

と、日本仏教の偉いお方、親鸞さんががおっしゃいました。「いやいや、そら逆やろ。そりゃちゃいまっせ親鸞さん。常識的に考えてそら逆でっせ」と言いたくもなりますが、『常識』と思って考えすらしていなかった当然のことの真逆と言うのはなかなかにインパクトのあるものでございます。

そんなこんなで、私も『当然』とされていることの真逆を、一つ二つと書き散らしてみます。

 

 

 

知らない人について行くならまだしも、知ってる人について行ってはならない

 「知らない人について行っちゃダメ!」

よく耳や目にする言葉である。実際、幼い頃に言われた方も多いだろう。子供の身の安全を守るためのに言葉かと思われるが、この簡潔にまとめられた言葉の真に意図するところを丁寧に書き出せば、おそらく以下のようなものであろう。

「汝ら幼き者たちよ、私の言葉を心して聞き、その言葉を忠実に守れ。汝ら幼き者は、大人などの年長者に比し、その肉体的・知的能力の大きく劣る事実がある。また、不幸にして、大人などの年長者が皆、汝ら幼き者にとって善良な者であるとは限らない。事実、非力な汝ら幼き者をして、自らの欲望に供する不埒な輩が存在するのである。で、あるから、汝ら幼き者は、自らの知らざる者に対し、その身体・行動の自由を委任し、もしくはその指導下に入ってはならない。ただし、以下に挙げる交通誘導員・警察官・教師等は除外す・・・(以下略)」

とかになるだろう。まあ簡単に言えば、「知らん人は危険やから、知らん人について行ったらあかんで!」と、子供の安全を思っての言葉なのである。

だが、である。子供の安全を願うならば、この言葉はおかしなもんなのである。逆でしょ逆ぅ!!子供の安全を切に願うならば、こう言わなきゃならんのは自明の理でしょ。つまり、「知らん人について行くならまだしも、知ってる人は危険やからついて行ったらあかんで!!」

当然のことを当然だと分かる常識人の皆さんは、「お、その通りやな」と思われるであろうが、世界は広く、とんでもない考えを持つごく少数、日本人のうち1億2千万人くらいの極少数派の方たちのために一応の説明をしておく。

危険な人物は、知らない人よりも知っている人だ

論より証拠、皆さんの記憶をたどってみるとすぐに分かることである。自分が幼かった頃、幼い自分に危害を加えた危険な人物は誰であったかを。

・保護者と呼称される危害者

まず第一に挙げられるのが、保護者と名乗る人物、もしくはグループである。彼らから加えられる危害が質的にも量的にも最大となる場合が最も多いのではないだろうか。その範囲も精神的なものから肉体的なもの、はては金銭的なものにまで及ぶことは広く知られている。また、こちらから保護者を選択する自由がほぼ無いことに、特筆すべき悪質性がある。

  • 食事や睡眠等の生理現象にまで及ぶ行動の強制。(〇時には寝なさい。食べこぼししないの!)
  • 怒鳴り声、暴力行為を示唆する強圧的な手段による自由の侵害。(もう、言うこと聞きなさい!壁に落書きしちゃダメ!!)
  • 殴打等、身体への直接的な暴力行為。(お尻ペンペンするよ!)
  • 経済的優位な立場を利用した支配、自由の侵害。(ええ点取ったら玩具買ったげよ)

 

 

・友達、クラスメイトと呼称される危害者

次にあげられるのが、俗に友達やクラスメイトと呼称される危害者群である。保護者と呼称される危害者と比べると、まだしも選択の自由があるのが救いと言えるか。

  • 時に出血を伴なう直接的な暴力(喧嘩、雪玉やボールを投げつけてくる)
  • 精神的な加害を目的とした意図的行為(無視、意地悪、からかい、お前の母ちゃんでべそ)

 

さらに他の危害者達。つまり教師や兄弟姉妹親戚・・・と、様々な「知っている人」とされる危害者達に書き連ねていくことが可能であるが、果たしてこれでも「知らない人は危険だ」と強弁できるであろうか。私たちに危害を加えてきたのは、その大半が「知ってる人たち」である。記憶をたどり、思い出せばすぐ分かることだが、その正反対の言葉がまことしやかに世に流布しているのである。真に恐ろしいことである。

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例えば、考えてみても欲しい。自分が子供のころに「知っている人」と「知らない人」から受けた身体的・精神的暴力被害についてを。知らない人から殴られたり、寝る時間を決められたり、「お菓子買ったげへんからね!」と言われたり、宿題を課されたり、ボールを投げつけられたり、「お前あほやなぁ」と暴言を吐かれたことが幾度あろうか?ましてや、この世の中には「知ってる人」より「知らない人」の方が何万倍も多いのに、である。多くの場合、何万倍も多い「知らない人」からよりも、ごく少数の「知ってる人」から受けた暴力の数の方が多いのでは無かろうか。

 

しかし、この程度の説明では「間違えた考えを決して改めないぞ」と固く決意をしている1億2千万人の極少数派の方達は納得しないかもしれない。むしろ「確かに、知っている人たちから危害を加えられたことはあるが、それが知らない人が安全だと言う根拠にはならない」等と詭弁を弄する人がいるかもしれない。そのような詭弁に対しても真摯に説明をしたいと思う。

 

 

データで見る「知ってる人」の危険性

「いや、お前の言葉やなくて信頼できるデータを見せろよ」とおっしゃられる方もいらっしゃるかもしれない。私もそう思う。まずはデータをチェック、これ基本。と言うことで、法務省が公開しているデータから見てみよう。

犯罪者と被害者との関係についてのデータである。後述するが、あくまで検挙件数であることに留意されたい。

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平成29年版 犯罪白書 第6編/第1章/第5節 刑法犯 被害者と被疑者の関係別検挙件数構成比(罪名別)より引用

平成29年版 犯罪白書 目次

 

グラフのオレンジで塗られた箇所が「知ってる人」による犯罪加害行為である。それ以外の色の部分がいわゆる「知らない人」が含まれる箇所である。殺人や傷害強姦等の凶悪犯罪ほど「知ってる人」の率が高いことが分かると思う。殺人に至っては、約9割が「知っている人」である。知っている人は知らない人より9倍危ない。ましてや、知っている人と知らない人の人口比率を考えるならば、知ってる人は知らない人より何万倍も、何千万倍も危ないことが分かるかと思う。

さらに、このデータについて注意しなけらばならないことがある。このデータはあくまで「検挙件数」である。結論から言えば、「知っている人」による加害犯罪数はこれらのデータよりもさらに多いのである。つまり、同程度の犯罪行為(詐欺・殴打等)があった場合でも、それが知っている人がおこなった場合のものであれば、警察に通報することは少なくなるであろう。「ちょっと今お金ないねん~。1000円借りるわー」と言われて返ってこなかった経験は誰にでもあるだろう。逆に、借りたまま記憶から飛んでいる人も多いであろう。「知っている人」により行われた犯罪行為はまま大目に見られる傾向があるのである。

その最たるものは性犯罪であろうと思われる。

個人的経験に照らして言えば、性犯罪なんて99%が持続的な性的関係のある間柄に発生するもので、恋人間や夫婦間等の「知ってる人」の間における犯罪行為であろうと思う。

 相手方の明示的な同意が無い。今日は気が乗らんけどまあえっか。まぁまぁ、ええやんかええやんか。的なものは、性的自由の侵害行為であって、「それまでの持続的な性的関係」に甘んじて表面化しないものであって、厳密にそれら性的自由の侵害をカウントすれば、「知ってる人」間における性犯罪数はものすごい件数になるんやないか、と思う次第である。

 

これらの事から、相対的に「知らない人は知っている人よりも安全である」と言えると思う。

なので「知らない人について行っちゃダメ!」と言うのはおかしな話である。より正確に言うなら「知らない人について行くならまだしも、知ってる人について行っちゃダメ!」であろう。

 

と、ここまで書いていて気付いたのだが。軽く冗談口調で詭弁を弄するつもりが、いつの間にやら論ずる口調になっていた。これがミイラ取りがミイラになるってやつね!やだ、怖い!

 

 

暑さも募り、そろそろ夏休みの時期である、大切なお子様のいる家庭の方々はぜひ、外出しようとするお子様に一声かけてあげて欲しいものです。

「車に気を付けてね。知らない人について行っちゃだめよ」と。

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・警察はもっと誤認逮捕・不当逮捕するべきだ

・オウムのようなカルトを許してはならない。で、カルトとは?

・水の惑星地球。7割が海と言う嘘。

等の詭弁もあわせて書こうと思いましたが、またの機会に。