ケーキをペロペロする奴は大体友達

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ノーインターネットノーライフ 言うてますけど

記憶に残る集団自殺事件3つ。

はや四月と言うことで、多くの皆様はこれまでと環境が変わったり、ウキウキな新生活で友達100人できるかなできませんだったりしておりますでしょうか。お久しぶりです、カメノセタロウです。

四月と言うことで、私の脳裏に強い印象が残っている集団自殺事件を3つほど取り上げたいと思います。あ、記憶に残っていると言っても、別に直接その事件を見たり聞いたりしたわけではなくて、その事件を知った時の印象度と言う程度の意味でございます。

3つの中で、私が存命中の事件は1つだけでございますからね。

 

1.彗星がやってくる!よし、宇宙に旅立とう!

時は1996年から1997年。たて続けに大きな天体ショーがございました。日本人が発見した百武(ひゃくたけ)彗星と、数カ月もの間天空に君臨したヘールボップ彗星でございます。1996年と言うことは、当時をご記憶の方はアラフォー世代と言うことになりますね。ええ、私も見ました。

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彗星勘違いあるある。彗星の尾は彗星の進行方向に対して後ろにある。

新聞やテレビでも連日のようにニュースになっておりましたこれらの彗星。特にヘールボップ彗星はお天気情報のごとく話題になっており、多くの人に親しまれる存在になっておりましたが 、違う捉え方をしておる人たちもおりました。

あの彗星の後ろに、我々を迎えるために宇宙人が遣わしたUFOがある!

アメリカにあった、新興宗教団体『ヘブンズゲート』は「肉体」は「意識・精神」を入れるための「容器・入れ物」であると考えておりました。そして、より高次の「意識」へと進化する必要がある、と考え、禁欲的な生活を過ごしておりました。(そのために去勢をおこなっているメンバーもいた)

そんな折現れた、巨大彗星ヘールボップ。教団は「より高次の存在が遣わしたUFOが存在する」と認識。UFOに「意識」を乗り移らせるための計画を行動に移します。そう、つまり意識の入れ物である肉体を捨てるのです。

1997年3月、彗星はその姿をより鮮明にし、多くの人が空を見上げていた頃。教団の39名はより高次の存在となる旅に出るため、集団自殺をしました。彼らは数グループに分かれ、後のグループが前のグループの「旅立ち」の後始末をし、続いて次のグループが「旅立ち」そしてそれを次のグループが後始末をし、と秩序だって「旅立ち」を行いました。近所のレストランで行われた「最後の晩餐」でも、皆ニコニコとし、礼儀正しかったそうです。

教団のメンバーが「旅立ち」を行う前に収録したビデオテープなども、のちに発見されており、現在でもyoutubeなどで見ることができます。

なお、このヘールボップ彗星が次に地球に近づくのは2500年ほど後です。その頃、人類はどうなっていますかね。

 

 

2.社会主義と宗教の融合、人民寺院事件

こちらはもう少し古い事件でございまして、惨劇としては1978年に起こった事件であります。

現在でもアメリカでは共産主義社会主義はご法度のような物でございますが、1950年代と言うと、反共産主義マッカーシズムがアメリカで吹き荒れていた時代でございます。そんな時代に、人種の平等、社会主義共産主義キリスト教を結び付けた運動を始めた方がおりました。ジム・ジョーンズとして名前の知られておるそのお方は、1950年代から1970年代のアメリカで、黒人や韓国人を養子に迎え入れたり、人種差別的な組織を告発したり、貧しい者に仕事を与えたり、独自解釈の聖書解説を行ったり「立派」な活動をしておりました。色々な、人権関係の賞もいただいており、地域や国家レベルの政治家とも接触がありました。しかし、やがて、その主張は過激化・先鋭化、終末論化しはじめ、また同性愛スキャンダル、不正選挙への関与、愛人の脱会などのマスコミとの衝突もしばしばでございました。

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左がジム・ジョーンズ氏

 閉ざされた信者たちの街

そんな中、教祖のジム・ジョーンズはアメリカから逃れるかのように南米への教団移住計画を実行に移します。南米のジャングルを切り開き、教団のための土地を切り開くのです。街の名は、ジョーンズダウン。

1978年には移住信者が1000名ほどになりましたが、元信者による「親族取り戻し」を訴える動きや、ジョーンズタウンでの強制的な労働疑惑などで、アメリカの国会議員が動きます。教祖ジム・ジョーンズの言動も日増しに過激化してゆき、「革命的自殺」を口走る有様。さて、ジョーンズタウンでの人権侵害の調査を名目に国会議員やメディア、元信者がジョーンズタウンを訪問します。悲劇の幕が開き始めます。

 

ジョーンズタウンの酷い人権状況などは見事に隠蔽し、国会議員の視察も無事に終えようとした夜、メディアに信者が訴え出ます。「助けて。俺たち本当はアメリカに戻りたい」。

翌日、その事について教祖ジム・ジョーンズに話しを聞くと彼は大変傷ついた様子だったそうな。

訪問団は帰国するためへ空港へ。しかし、空港で待ち構えていたのは、教団の武装集団でした。国会議員や、元信者などが空港で殺されました。

また、そのころ、ジョーンズタウンでは「革命的自殺」がおこなわれておりました。教祖、ジム・ジョーンズの演説が響く中、集まった信者は毒杯を仰ぎ、次々と倒れてゆきました。その数、909名。残されたテープには、教祖と信者の問答、赤子の泣き声などが残されております。

 

 

3.敵の陣地の前で集団自殺事件 in古代中国

古代中国。特に春秋戦国時代の中国は古代ギリシャ等と比較しても遜色無いくらいの面白い思想家がおったと思うのですが、そんな時代に刻まれた、集団自殺の事件を一つ。

 

紀元前5世紀の中国、まだ秦の始皇帝による統一もなっておらず、今よりはるか小さな「中華」の中に様々な国が存在したそんな時代。現在の上海の南あたりは、中華文明のの果ての果てでした。

そんな地域にあった越と言う国と呉はたいそう仲が悪うございました。現在でも「呉越同舟」と言う「仲が悪くても同じ船に乗ったなら仲良うするやろ、船転覆するで」的な四文字熟語に残されておりますね。多分、当時の呉越の人なら「相手殺すためなら自分の乗ってる船くらい沈めるわ」的なこと言いそうですけどね。

そんなこんなで、戦争をしておった呉と越の国。お互いに隙無く陣をはり、続くにらみ合い。ハッキョイノコッタノコッタ!

そんなある日、ジャンジャカジャーンと壮大な音楽を鳴らし、呉の国の陣地の前に越の国の兵士が20人やってきます。

呉の王様は「なんやなんや。20人で何しようとしとんねん。まあ見とこけ」的な感じだったのでしょうか。呉の陣地の守備兵は見守っておりました。

そして、突然自らの首をはねる20名。

呉王「???何がしたいんじゃ敵は」

陣地の前で集団自決をした遺体20体。ざわつく呉の陣地。

そして、また鳴り響く音楽。ジャンジャカジャーン♪

呉王「???え、また??」

はい、その通り。また出てくる20名の兵士。とことこと、陣地の前までやってきます。

いやいや、そんな。と思いながらも皆集まって固唾をのんで見守ります。どうせ、20人でこっちに襲い掛かってきても何もできないし。

そして、また自らの首をはねる20名。

いやいやいやいや、なにこれ。何がしたいの敵さんは。陣地内はちょっとしたパニック。他の部署の兵士さんも噂を聞いて興味津々。深まる謎。

 

 

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仏の顔も三度までのジャンジャカジャーン♪

そして、また鳴り響くジャンジャカジャーン♪

はい、勘の良い皆様は既にお気付きですね。罠です。

また、出てくる敵兵20名。陣地の皆様、もう何が起こるか分かってる。二度あることは三度ある。先ほど見れなかった他の部署の人までわんさか見物に・・・。

20名が、また自らの首をはねる、とともに陣地に加えられる四方八方からの攻撃。陣地の皆様、完全に見物人モードで自殺ショーを見ておりましたが、今度は逆に始まる自らの屠殺ショー。呉の軍は大負けに負けて、この時のケガが原因で王様まで死ぬ有様。

この時に、呉の王様が息子に言った「お前、父さんの仇はきっとうてよお前」が今に伝わる有名な四文字熟語「臥薪嘗胆」を生み出すことになるのは、また別のお話し。

 

 

それでは、私の記憶に残る集団自殺事件3つでした。