後藤真希さんのライブでピーと特攻隊員達とヲタ芸打った思い出
こんばんは、みつまりです。
今日は後藤真希さんのお話だよ
先日カラオケに行きました
9人中3位
3日後に再び行きました
2回歌ったのに1位になれない。思いやりという名の道徳的価値の再認識。
そうです、私は後藤真希さんの『抱いてよ! PLEASE GO ON』という曲が大好きです。
これをご覧になるハロプロオタク、もしくは現役アイドルオタクの人には分かっていただけるかと思うのですが、勿論サビではマワリながら歌います。歌いながらマワリます。
【マワリ】
音楽に合わせて頭上で手拍子を叩きながらその場で右や左に回転ジャンプをするヲタ芸。
基本的に時計回りで八拍→反転で八拍の繰り返し。反転する際に「フワフワ(裏声)」が入ることもある。
これがマワリやで
なぜ私が歌いながらオタ芸しちゃうくらい後藤真希の事が好きなのかというと
こちらのブログで2度ほど記事にしている【友人ピー】に多大なる影響を受けたからです。
ピーについては、カテゴリ『ピーに捧ぐ』からもご覧いただけますが、一応リンク貼っておきますね。
20世紀後半から21世紀の初め、ナインティナインが司会を務める「ASAYAN」という番組内の企画で初代モーニング娘。が生まれ、のちに後藤真希が加入し『LOVEマシーン』が爆発的にヒットしたあの頃。
アイドルらしからぬ成り上がりの根性とダンスの迫力。そしてアイドル内の堂々たる縦社会をあえて隠さず売りにするつんくさんのプロデュース力に全日本国民が圧倒されたあの時代。
ピーはゴリゴリの「ハロプロオタク」になりました。
【ハロプロ】
モーニング娘。をはじめ、もの凄い勢いでもの凄い人数のアイドルを育てあげた事務所「アップフロントエージェンシー(現:アップフロントプロモーション)」に所属するアイドル集団「Hello! Project」の事。
ピーは何がきっかけだったのかは忘れましたが、気付いたらズブズブのハロプロオタクになってましたっていうかヲタクになっていました。
そしてピーといつも一緒にいた私は自然とハロプロ知識が身に付きました。
でも、知識だけではヲタ芸は打てません、ていうか最近ではヲタ芸する事を「打つ」と言うのですね、かっこいいですね。
本日は、私が『社会性が必要とされる場以外』でヲタ芸を積極的にやってしまうようになったいきさつをお話ししたいと思います。
後藤真希 セクシー!マッキングGOLDツアー@厚生年金会館 ピクチャーチケット(2003年)
後藤真希が全盛期だった頃、ハロプロのファンクラブ会員だったピーにライブツアーに連れて行ってもらい、6列目という良席にてハロプロヲタの皆様と共に「本場のヲタ芸」というのを生まれて初めて体験したのは今から14年前。
考えてみれば、14年前といえば私はれっきとした社会人でしたが、共同ブロガーの高木よーへい氏は当時まだ10歳弱だったんですよね・・・まじか。
そんな大阪厚生年金会館(現:オリックス劇場)大ホールにて行われた『セクシー!マッキングGOLDツアー』での思い出。
当時のヲタ芸は、そもそも芸として確立すらされておらず「PPPH(ピーピーピーエイチ)」と呼ばれていました。
【PPPH】
ハロー!プロジェクト系をはじめとするアイドルのライブ、声優のライブで用いられる定番のヲタ芸。
アイドルポップスにありがちな、4/4拍子楽曲のBメロにおける「タン、タタン」というリズムに合わせてクラップ(手拍子)を入れ、4拍オモテのタイミングで奇声を上げながら拳を突き上げて垂直に飛びあがる(ぱんぱぱんひゅー)。
PPPHやで
私が歴史の生き証人となってここで皆様にお伝えしたいのは『インターネットもヲタ芸も今ほど世間的に広まっていなかったあの時代から、既にヲタ芸は芸として完成していた』という事。
2003年の9月21日、ライブ開演までまだ1時間以上前に到着した時、すでに厚年前の公園ではごまきヲタの方々が様々な所で集まって輪になりPPPHの練習に励んでいました。
一番目を見張ったのはそのファッション。
皆さん、アイドルオタクって聞いたら大体「チェックのネルシャツみたいなやつ+ケミカルウォッシュジーンズ+バンダナ」とか想像しませんか?私は想像してました。
でも違った、ごまきヲタは全然違った、いや他のアイドル見に行った事ないから知らないだけですけど少なくとも後藤真希ファンの皆様はそんな恰好ではありませんでした。
とりあえず、記憶にある後藤真希ファンの方々の多くは背中に大きく「後藤真希 命」と毛筆で書かれた特攻服着てました。あと後藤真希の缶バッジを5連くらいにしたイヤリングしてました。
アリーナ6列目ってかなり前だから、きっと私は今からこの人達に囲まれてライブを見るのだろうな、と思うと(なんで自分は特攻服を着てこなかったのだろう)と、一般人を気取ってスカートなんか履いて行った自分を少し恥じました。
いつの間にかズブズブの後藤真希ヲタになっていたピーは、開演前から全力でPPPHをしている中でもひときわ大きい輪の中に知り合いがいるとかでちょっと挨拶行ってくるわと言ってどこかに行きました。
ピーまって私を置いてかないで、暴走族じゃないのになんで特攻服着てるのか訳が分からないよ、っていうか特攻服着ていない私の方が目立っているよ、ねえピーあれはみんな家から着てきてるのそれともここで着替えたの、ねえピーあれはどこで作っているの、クオリティの高さからお手製じゃないのは遠目からでも良く分かるけれど、ねえピーとにかく私を置いていかないで。
とか何とか思っている間に開演。
コンサートはそれはそれは素晴らしく、後藤真希さんの歌や踊りから、彼女の全力が客席にまで伝わってきて、そんな彼女に応えるべく特攻隊員たちもサイリウムを両手に全力で熱意を返す・・・そんな応報がありまして、とにかく6列目だったのでステージからめっちゃ近かったのとヲタ芸がめちゃくちゃ楽しかったのを今でも覚えています。
そう、ヲタ芸がめっちゃ楽しかったのです。
なぜかというと、これまたピーのおかげでして、事前にしっかり本物の後藤真希ファンであるピーににヲタ芸をレクチャーしてもらい、しっかりヲタ芸を練習していったからなのですが
後藤真希の曲を殆ど知らなかった私の為に、ピーはわざわざコンサートの何日も前に、今回のライブで歌われるであろう後藤真希の曲が入ったMDと、その曲ごとのPPPHのやり方・タイミングのレクチャー・その他ライブがより楽しくなる為のポイントを纏めたものを6枚もの紙に渡って綴り、うちの家までわざわざ届けてくれていたのです。
と言う訳で、冒頭に載せたチケットと一緒に14年間大事に取ってあった『ピーのごっちん愛凄まじいPPPHレクチャーお手紙』をピーの許可のもと公開いたしますのでご覧ください。
当時の後藤真希ファン必見。懐かしいこと請け合いです。
当時からオタクの頭文字のオはすでに「ヲ」だったんですね。
【マッキングゴールドツアーの正しいヲタり方】
とりあえずごっちんの代表曲(白いMD中)
1曲目の愛バカ
2曲目の手握
4曲目のあふBe
7曲目のやる気!
10曲目の赤い日記帳ごっちんVer.
を聴き流して下さい。すると、シングル曲なので自然と脳に残ります。
『愛バカ』
はじめのイントロで「ヲイ!ヲイ!ヲイ!…」と入ります。(ヲイ!でサイリウムを振る(上げるそして下げる))歌が始まるとやめる。
2番目の間のイントロも「ヲイ!ヲイ!ヲイ!…」と入ります。
そして歌が始まるまでやる。
この曲はシュールな曲なので「ごっち~ん!」といったかけ声は入らないです。
と、全部文字に起こそうと思ったのですが、膨大な量になったので、後は画像(一部説明付き)でお楽しみください。
【会場周辺】
ごっちんヲタ:ごっちんがあんなだからヤンキーチックなやつが族のトップとして後藤をあがめてたりする。でもこわくないから大丈夫だよ。ヲタはいろんな人がいるけど全部ひっくるめて客観的に楽しんだらいいよ。見てるだけでおもしろい人(失礼)もいるし。ヲタクウォッチングだよ。
ごっちんヲタに対する愛、そして初めてヲタの人を見る私が怖がらないように…という優しさ溢れるピーの文章に胸が熱くなりますね。
当日のゲスト「メロン記念日」という人達の事もしっかり詳細に押さえてくれています。
Banという制汗剤のCMに使用されていた曲の説明。もちろん当日はバン!!ってとこで飛びました、たぶん。
そして現在
ピーとはいまだに一緒にカラオケに行くのですが、この頃の衝撃と楽しかった思い出とヲタ芸のテンションの影響力があまりにも大きくて、私は今でも必ずハロプロ関係の歌を歌います。
ハロプロ関係の歌を歌う時は、主に私がアイドル役でピーが全力でヲタ芸を打ちます。だいたい夕方から朝にかけてのフリータイム約10時間のうち1/3はほぼほぼマワッテます。
モーニング娘。の『ザ☆ピース』では石川梨華さんのセリフも完全再現します
『ロマンティック浮かれモード/藤本美貴』は少なくても3回は歌うよね。
このテンションで10時間
『ロマンティック浮かれモード』はヲタ芸の「ロマンス」と「PPPH」と「マワリ」がすごく良いバランスで構成されていますので、もう事切れるんちゃうかなと思うくらい盛り上がります、2人で。
この曲でヲタ芸を打つ事で有名な『ロマンス中野さん』というアイドルがテレビに登場した時、私達の間に衝撃が走ったのは言うまでもありません。
その影響によりカラオケでこの曲を歌う際には必ずアウトロで「大の大人ガー!!!」と私が叫び、ピーはそれに打ちのめされるのが定番になりました。
あとこれは余談ですけど、アイススケートの安藤美姫さんがミキティという名で世間に親しまれ、その後に藤本美貴さんと結婚した品川庄司の庄司さんが「ミキティー!!」と叫ぶようになった事で「藤本美貴=ミキティ」が浸透したので、世間的には「ミキティと名づけられた順」は安藤美姫さん→藤本美貴さんみたいになってますけど、あれ順番逆ですからね、藤本ミキティの方が安藤ミキティより先でしたからね。だから何だと言われればそれはもう一体だから何なんでしょうねとしか返せませんよね。
それにしても、後藤真希さんのコンサートに初めて連れて行ってもらった20代前半の頃は、14年後の30代になってまで、それこそ大の大人が2人していまだにこんな事をしているなんて夢にも思いませんでした。
ちなみに翌年にも後藤真希さんのライブに誘ってもらい行きました。
真金色に塗っちゃえ!MAKI GOTO CONCERT TOUR 2004 SPRING@岸和田市立浪切ホール
ピーと私の実家が大阪の北東部だった為、大阪南部の岸和田市という所がどこにあるのか分からないまま車を適当に走らせたら2時間以上かかり「なにここめちゃめちゃ遠いやん…ここ本当に大阪なんかな大丈夫かな…」と、2人で話したのも良い思い出。
まさかその数年後にこの浪切ホールという所まで自転車で行ける距離の場所に引越す事になるなんて想像もしていなかったのですが・・・それはまた、別のおはなし。
以上です。