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ノーインターネットノーライフ 言うてますけど

『吾輩は猫である』を読んだ事のない私が、吾輩は猫であるを創造する。

吾輩は猫である、名前はまだ無い。

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だが、諸説はある。

「猫」という名前である説
「まだ無い」という名前である説

先程「吾輩は猫である」と自己紹介をしたが、実際は犬なのかも知れないという説もある。

吾輩は「そうせき」と名乗る男と生活を共にしているのだが
先日、彼の知人らしき者が我が家に訪れ
彼に対して「この負け犬が」という様な事を述べていた。

そうせきと吾輩は恐らく同じ種族であるから
そうせきが犬であるのなら、吾輩も犬である。

よって、吾輩は犬である。

とは言ってみたものの、それもこれも先述した事柄から推測した仮説に過ぎない。
なので、犬である。と、仮定して話を進める事にする。

犬である吾輩は、冒頭の「猫」に関して以前から気に掛かっていた事を話したい。

猫であると自己紹介はしたものの、実際のところ吾輩はそうせきと同種族であるゆえ
吾輩とは似ても似つかぬもう一つの方の猫、あの「全身に毛が生えている四足歩行のしなやかな生物の方の猫」の事である。

愛されている猫、人間と共に暮らしている猫の事を漢字では『愛猫』と書く。
これは「あいびょう」と読むのが正しいとされているが
10人中6人は「あいねこ」と読んでいる可能性が濃厚である。

これには諸説ある。

例えば『日常茶飯事』
これは、正しくは「にちじょうさはんじ」と読むが、吾輩は「にちじょうちゃはんじ」と言っている者を何度も見かけたことがある。

あと『相殺』
こちらも正しくは「そうさい」であるが「そうさつ」と読む者が少なくない
というか、これに関しては「殺」と書いてサイと読ませる方が無理があるように思う。

この「殺」を「サイ」とする事で生じる誤読と同様に
猫という字を「ビョウ」とする事も、些か強引すぎるのではないだろうか。

もしくは、古来は「猫」をビョウと称す事が基軸とされていたという説も拭えない。
冒頭で「吾輩はビョウである」と自己紹介した方が良かったのかも知れない。

などと、今となっては反省したところで致し方ない事なのではあるが。

あと『大通り』
正しくは「おおどおり」であるが、これは口語で話す際は問題無いのだけれど、文字やキーボードで入力する際に「おおどうり」としてしまい、変換できずに混乱している者を見かける。
『王様(正:おうさま・誤:おおさま)』も同様である。

この二つの点に関しては余談である、特に意味は無い。


あるいは、吾輩は猫でも犬でも無いのかも知れない

これには諸説ある。

ここまでの文章を、文字数で表すとすれば大体1000文字位なのだが
ブログという媒体において、1000文字で「まだ終わらなさそうな文体」というのは
読者がそろそろ中だるみを気にし始める長さである。
今頃この辺りを読んでいる読者の心を代弁するならば「これ、いつまで続くの・・・」といった所だろう。
その中だるみを解消するべく、始めに定義した事実を180度覆す。

要するに、起承転結における転を意図的に投入して読者の関心を取り戻そうと試みる説である。

もう一つは、そう書いた方が物語に深みが出るような気がする説である。

これには更に諸説ある。

今これを書いているみつまりが、書きながら何となくそんな風に書いた方が良いかなと思ったという説。

もう一つは、つい最近みつまりが何かの書評を読んだ際、著名な書評家が「この物語は云々で〇〇と〇〇と〇〇と構造化して解釈のできる、とてもよく練られた作品だ。」と評していたのを思い出したので、そういうのをやってみたかったという説である。

 

さて、いよいよ起承転結の結の部分である。

と、起承転結を気にしているような物言いをしていながら、実は承が一体何処にあったのか、書いている本人も分からないのであるが、恐らくそれは読者が自ずとどこかで見つけてくれるであろう事を祈りながら結びに進みたい。


中盤にて、漢字の読み方に関する説を書いていて気付いたのだが
最近のスマートフォンでは「おうさま」でも「おおさま」でもちゃんと『王様』に変換できる。

昨今のコンピュータは優秀すぎるのではなかろうか
人間の不出来な部分や誤りを柔軟に判断し、突き止め、こちらがその誤りに気付く前に勝手に修正しているのである。

こんな物に頼りきりでいれば、そのうち我々がコンピュータに乗っ取られる日もそう遠くはないだろう。

もしも、コンピュータに侵略された時の状況を
PC「ワレワレハ、コンピュータ、デアル。」
などと想像している者がいたら、是非改めるべきだ。

日々進化しているコンピュータは、人間の愛するものを理解し、その心に付け込むような形を成して近寄ってくるだろう。

例えば、しなやかな体つきと毛並みを身に纏い
流暢な日本語で

吾輩は猫である、名前はまだ無い。」
などといった風に。