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ノーインターネットノーライフ 言うてますけど

性について開けた考えを持つ事と、積極的に男性器や女性器の固有名詞を使用する事は似て非なるものだと思う私の見解

コウノトリが実在する鳥だという事をつい先ほど知ったみつまりですどうもこんばんは。

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こわそう

本日は、コウノトリとは全然関係ない表題の件について個人的見解をお話したいと思います。

 

女性器の呼び方問題の発端

数年前、とある女性の芸術家によって、自身の女性器をアートとして昇華されたものがわいせつ物とみなされ、わいせつ物陳列罪で逮捕されるという事件がありました。

ろくでなし子 - Wikipedia ←このかたですね

その事件を機に、ろくでなし子さんの考えに賛同する方々や支持する一般人の方々を中心に、ザワザワと「女性器の事を積極的にまんこと呼んでいこう!」みたいな動きが起こり始めました。

ろくでなし子さんの主張は
「男性器の名称は伏せないのになぜ女性器だけ伏字にしなければならないのか。」というもの。
女性器そのものがわいせつの対象となる事は表現の自由を脅かすものであり、また、その根底には女性差別があると主張されていました。

また、この件とは別で、日本は他の先進国と比較して性教育が遅れているという指摘もあります。

日本の大人達が性を過度にタブー視している為、子どもに必要な性についての情報を提供できず、その結果、子どもに「性=いけないもの」という価値観を刷り込んでしまう可能性が危惧されています。

この「性をタブー視する事の危険性」については、なるほどと思う部分もあり、ろくでなし子さんの「男性器はOKなのに女性器がアウトなのは差別」という意見に関しても確かにそうだなと思います。

しかしながら性をもっと開けたものにする事や男女間の差別の垣根を取り払う事と「女性器を積極的にまんこと呼ぶ」という事は、何かちょっと違う様な気がするのです。

 

差別とは

まず、差別について
差別とは、ざっくり言うと不当な理由で不利益を被る事、他の人と同等の権利や利益を得られない事を指します。

主張されていたろくでなし子さんは芸術家の方なので、男性器が芸術として認められている現状で、芸術としての女性器が規制される事は、確かに差別的だと感じます。

ただ、私はこの芸術家のかた意見と一般常識を混同するべきではないと考えています。

 

不利益を被っているのは男か女か

男女差別は基本的に「女性側が不利益を被っているから男性と同等の権利を与えられるべき」という固定概念がある為、何でもかんでも『女性だって男性と同じレベルに!』と考えがちですが、この件に関して、女性は少し踏み留まるべきではないでしょうか。

女性器の呼称をぼかされる事は、果たして本当に女性が不利益を被る事なのでしょうか。

この件に関しては「女性器がタブー視されているのではなく、男性器が軽視され過ぎている」というのが個人的見解です。

なのでこの場合は『男性を女性のレベルに合わせる事』が差別の解消につながると考えます。

先日、ツイッターでこんなツイートをしたところ

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とある男性のフォロワーさんからこの様なリプライがありました。

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このフォロワーさんの意見のシチュエーションの場合、不利益を被っているのは明らかに男性側です。

この事から、少し視点を変えてみれば女性の身体は男性の身体よりもある意味特別視されている事が分かります。まあ(性的な意味で)なのでしょうがそれを言い出すと水掛け論になるので置いておきます。

ですので、女性は女性器をタブー視されていると目くじらを立てるのではなく神聖なものとして扱われている事に誇りを持ち、更に男性器に対しても同等の扱いをする事で、この事象に関しては差別ではなくなるのではないかと考えます。

 

異論について

「いやいや、そうするとただでさえ閉鎖的な性についての認識が更に閉鎖的になるでしょ。」

「男性器をちんこと呼ぶのであれば女性器の呼び方もそちらの方に合わせるべき。」

その様なご意見の方、果たしてそうでしょうか?

例えば、日本語には一つの物や事象を表す言葉にとして様々な表現があります。
『他者の死』を表す言葉で例えるならば、今思いつくだけで
「絶命した」「亡くなった」「逝去された」「崩御された」「旅立たれた」「天に召された」「お星さまになった」等々に言い換える事が出来ます。

私達はこの数々の語彙の中から、伝える相手との関係性や自分の立場、相手の立場、亡くなった人の立場や関係性など様々な状況を考慮して、同じ事象に対しても細かく表現を使い分けています。

そうなんです、日本語には沢山の語彙があり、私達は日頃それを使い分ける知恵を持ち合わせているのです。

 

日本語の可能性

翻りまして「ちんこまんこと呼んでいこう問題」ですが、私にはこの部分がごっそり抜け落ちている様に感じてならないのです。

「性」という刺激的なお題に対して皆がふいに我を失ってしまっている様に思えてならないのです。

男性器と女性器にそれぞれ名称がある事は普通に知識として伝えれば良いだけの事だし、積極的にその呼称を使用しなくても、性についての知識を深める事はいくらでも出来ます。

けきぺろ読者様なら承知の事実かと存じますが、私は下ネタを話す事に抵抗の無い人間でございます

ですので、実際の会話で誰かと性(下ネタ)について語る事も多々あるのですが・・・何て言うんでしょうね、結局そういうオチかよと思われそうですが、ちんこやまんこを連呼するのってシンプルに面白くないんですよね。

出オチを狙ってる感が凄いというか、これはもう人によって好みが分かれるだけの話なんですけど

「私のおっぱいはAだけど、誰々くんのちんこの大きさは何センチ?勃起した時は?」は、安い居酒屋止まりの会話ですけど、ここで使用される語彙を

「私のバストはAカップで御座いますが、貴殿のご子息は例えるならば何スティックでしょうか?臨戦態勢時の膨張率はいかほどになりますでしょうか?」と変換すればあら不思議、宮中晩餐会でも使えるじゃないですか?え?使えない?そうですかね私にはちょっとよく分かんないです。

 

まとめ

そして、この様に大人が性についての語彙やバリエーションを幾つも用意していたり会話を秘密裏にしたりしない事が、多様な性格の子どもに対しての柔軟な対応に繋がり、かつ、性について悩んだり万が一性犯罪に巻き込まれた子どもにとってその事実を話しやすくする環境づくりの一環となるのではないでしょうか。

と、散々性的な事を話して満足いたしましたので、最後はあからさまに社会派を気取って何かしらを中和させたっぽい感じに纏めたところで本日は終わりたいと思います。


以上です。