インドア人間的海水浴の楽しみ方 ~思い出ジャイアン大作戦~
暑中お見舞い申し上げます、みつまりです。
先日、海に行きました。
これな
上の画像は私が浜辺で日光浴に興じている様子です。
これを友人ピーに送ったりSNSに載せたりしたところ、見て下さった方々から「死体かと思った」「リカちゃん人形のミニチュア海辺撮影みたい」「まっすぐ」「白」「棒」「串」と、進むにつれて雑になる伝言ゲームみたいな感想を頂戴いたしました(大体合ってる)。
この画像が醸し出す白い棒感は、長年にわたる夜行性・インドア気質・不摂生をコツコツと積み重ねた成果で御座います、継続は力なりとはまさにこの事ですね。
そんなアウトドアに不慣れで全く泳げない私が、アウトドアに不慣れで全く泳げない人と2人で海水浴に挑戦したシーズンインザサマー
海に行ったは良いものの海で何をすれば良いのか分からず、とりあえず浮き輪を購入するも泳げない私達の脳内を「沖合で浮き輪の空気が抜けた時それは死を意味する」というハイリスクな標語(自作)が占拠しまして、足の着く範囲内で微妙に足を浮かせて漂う→冒頭の白い棒になるを繰り返しつつ浜辺を眺めていたところ
若い子達が至る所で、自撮り棒?って言うんですかね?あの「知らない人にわざわざお願いしなくても、良い感じの距離でセルフ自撮りが出来る近未来な棒」を持って自撮りをしているのが無数に視界に入りまして
これな
(ああ、あの人達は多分ここで撮った写真を今夜あたりインスタとかに上げたりするんだろうなー)なんて事を考えていたんですけれど、そこで私はふと気付いてしまったのです
「あれ?これってもしかして、どこの誰かも知らないあの人達の背景に映り込んだら、他人のSNSに紛れ込めるんじゃない?」と。
そんな事をして何になるのか何の得があるのかと聞かれれば、それはもう『ズームイン!!朝!』のお天気コーナーや『笑っていいとも!!』のオープニングや『とくダネ!』のあまたつさんのお天気コーナーの背景に映り込みたい人と完全に同じ心理ですとしか答えられません。
思い立ったが吉日、速やかにそれは実行されました。
題して
☆「お前の思い出は俺のもの、俺の思い出も俺のもの」思い出ジャイアン大作戦☆
手順は以下の通り
1.自撮り棒で自撮りしてる人達の遠まきをウロウロして他人の自撮りの背景にさり気なく見切れる
2.後日、インスタやツイッターにて行った海のハッシュタグサーチ
3.見切れている自分達を発見
他人のSNSの思い出が自分達の思い出に!!
私達はさり気なさに注意を払いながら浅瀬を右往左往し続けました。
とは言えですよ、最近の子ってすごいじゃないですか、自撮りする時って大体SNSに載せる事を意識してるでしょ。
山本さほさんも『岡崎に捧ぐ』の中で書いていらっしゃいましたけど、ネット上が「殺るか殺られるか」みたいに殺伐としていた時代を知る者としては、そんな場所に顔面を載せるなんて未だに信じられないというか・・・
でも、けきぺろ共同ブロガー高木よーへいくんも初回記事から顔面載せてたし、なんか分かんないけどそういう時代なんだろうなという感じで別に良いのですが、それの何が凄いって、意識的か無意識かは分かりませんが、皆さんもれなく撮影時には愚かな私達はおろか他人を一切映り込ませないように撮り方を工夫しているんですよね。
SNSに載せるのを前提にした撮影なので、後で加工するのは自分達の顔面だけで済むようにちゃんとうまい具合にアレしてるんですよ、いやホント最近の若い人の撮影技術まじですごいよ、何らかの職人芸ですよあれはもう。
ですので(ぱっと思いついたけど、そんな簡単に映れるもんでもないだろうなぁ・・・万が一映ってたとしても、何枚も撮ってる中でSNS用として厳選される一枚にその画像が使われる確率なんてめちゃくちゃ低いだろうなぁ・・・)なんて事を思いながら、適当に水遊びしつつウロウロしてました。
そして、数日後に面白半分期待半分でハッシュタグサーチした結果がこちらです
映ってた
名も知らぬ彼女達の思い出が、間違いなく私達の思い出にもなった、とある夏の奇跡でした。
まだまだ暑い日が続きますのでくれぐれもご自愛ください。
以上です。
追伸:個人ブログ始めました。真面目なやつですが宜しければ覗いてやってください。