ケーキをペロペロする奴は大体友達

ケーキのフィルムをペロペロする奴は大体友達

ノーインターネットノーライフ 言うてますけど

気い付けや。格言、奴らはアドバイスしない。

こんにちは、かろうじてカメノセタロウです。

 

ご存知のように、この世には多くの格言・名言・故事成語・ことわざなどがあります。

「犬も歩けば棒にあたる」
「鴨が葱を背負って来る」
「二度あることは三度ある」
「可愛い子には旅をさせよ、特にカメノセタロウ宅へ」
タンスにゴン

などなど枚挙にいとまがない。しかし、これらの格言は、「だからどうなの?何が言いたいの?何のアドバイスなの?てか、結果はどうなるの?」と思わせることもしばしばだ。

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鴨がネギを背負ってきたら何なの?Twitterにupすれば良いの?

 

 格言というものは、本来、世のため人のために役立つ言葉であるはずなのだが、なかなかどうしてその伝えようとしている意味が分かりにくい。国語のテストの「著者の考えを答えなさい」以上に分かりにくい。役立つ言葉ならもっと明確に分かりやすく言えないんかい、と思うし、著者が「いや、そういう考えで書いたんやないねんけど」と言うのもたま目にする。それくらい分かりにくい。

右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい

どういう意味だろうか。何のアドバイスだろうか。右のほっぺたを打たれたら、左のほっぺも差し出せってマゾっ気があるのではなかろうか?「ほぉら、打たれてるうちにだんだん気持ち良くなってくるだろぉ?」聖書に書いてある言葉とはとても思えない。きっとこの後に省略されている言葉は「ステップアップ☆ほっぺの次はお尻!」とかだと思う。どちらかと言えばお世話になりたくない言葉ではあるけれど、口内炎を舌でグリグリしてしまうことは皆あると思う。

 

他にも意味不明な格言は数多い。

急がば回れ

悪魔かお前は。いや、遅刻するだろ。と、冷静に教えてあげたい。辞書を開いて調べてみると、以下のように書いてあった。

急ぐときは早くても危険な道を選ぶよりは、遠回りでも安全な道を選ぼうね。結果的にそちらの方が早いよ!

なぜ最初からそう言えないのか。アドバイスする気があるなら分かりやすく言えばいいのに。むしろ、声を大にして言わなければならないのは「結果的に早くなる」部分ではないのか。ゆえに、この格言の正しい表現は

結果的に早くなる方法を考えや。直線が早い時もあれば、回り道が早ようなることもあるんやで。

ではなかろうか。これでこそアドバイスである。元の格言のままであれば、回れば良いだけである。んなこたぁない。回るだけで良いのはひらひらスカートの美女のお姉さんだけである。

 

既にアドバイスする気の無いような格言もある。

覆水盆に返らず

後悔先に立たず

どこからか、「ほら見たことか」と何かに失敗した人をあざける言葉が聞こえてきそうな気がする。決して私の被害妄想ではない。念のために説明しておくと、「一度起きてしまったことはもう二度と元には戻らんで、ざまあみろ」という意味である。著者に確認した訳ではないが、この意味であっていると思う。もしくは、何かの事前に言われたならば、「一度起きてしまってからはもう二度と元には戻らんで、気ぃ付けや」と言った意味になるだろうか。「一度起きて~」から「戻らんで」の部分が不要である。この格言は正しく以下のように表現されるべきである。

気い付けや(事前)

ざまあみろ(事後)

元の格言より格調高く胸に迫る表現になったのではなかろうか。格言とはこうあるべきである。

 

また、時代の移り変わりに付いて行けなくなった格言も数多い。

李下に冠を正さず

もう、字面を見て状況が分からない。李下?冠?いや、そもそも私ら冠をしてませんしね。アデランスという名のものを除けば帽子をする人すら稀な世の中ですわ。国語のテスト以外で目にした記憶もないこのような格言を使う人はいるのだろうか。「そんなことやめなさい!李下に冠を正さずって言うでしょ?あ、李下に冠を正さずって言うのはね、昔々中国の~」とかそんなことを言う人を見たことも聞いたこともない。見てみたいけれども。

一応、この格言は「果実のなる木の下で、帽子をかぶり直してたら、その木の果実を盗んでるように見られるで。気い付けや、怪しまれることはせん方がええで」てな意味であるのだが、これも本当にアドバイスする気があるならば、以下のように表現されるべきであろう。

気い付けや

 

時代の移り変わりとともに表現や言葉の意味は変化していくものなので、ナウな私もチョベリグな表現を追い求めてゆきたいものである。