ありがたいお言葉『毎日1mm』
どうも、かつて学生だったカメノセタロウです。
入学シーズンということで、高校へ入学した時に、校長だったか教頭だったか理事長だったかその他の誰かに言われた、記憶に残るありがたいお言葉のお話しを。
かつて私も学生だった
高校へ入学してすぐのことだったと思う。入学生全員が、運動場に並べられ、校長だったか教頭だったか理事長だったかその他の誰かのありがたいお話しを聞いていた。こういった場合、たいていは長々と中身のない話が繰り広げられ、貧血で誰かが倒れるのがオチなのだが、この時は違った。今でも私の胸に深く刻まれている、ありがたいお言葉があったのだ。
話の中身は、ありていに言えば「高校三年間、成長しろ」と言ったものなのだが、その校長だったか(以下略)の表現は「1日に1mmの成長をすれば良い、それを続けたら高校3年間で1000mm。つまり、君たちは1mの成長をする」といったものだった。これが私の胸にズガンと来た。
「1日1mmの読書をすれば、3年で1mの厚さの読書できるんか!」
「1日1mm髪が伸びれば、3年後の私は黒髪ロング1mの美少女になるやんけ!」
と、男子高校の私は思ったものだった。
それからは、日々「自分は高校へ入学してから何ミリの成長ができているだろうか」と自問自答する日々であった。「毎日1mmの成長をするために努力をしなければ」と日々決意する真面目な人間である。初志を忘れない人間である。ただ、私は基本的に不登校児だったので、そう自問自答するのは、たいてい平日の昼間の布団の中や、日々成長するゲーム画面の中の主人公を見ながらであったが。
たとえ優れた言葉であっても、それを受け取る側に問題があっては何の意味もない言葉になるし、記憶に全く残らないことすらある。ある日、学年一の秀才に尋ねたことがある。
「入学したての頃の、あの校長だったか(以下略)のあの1mmの成長のお話し、良かったよねー」
「なにそれ、全然記憶に残ってないわ」
「日々のわずかな成長が、長い年月で大きな結果になるってお話しよ。お前も、日々の努力があってその偏差値なんでしょ?」
「んー、基本的に勉強で努力したことないなぁ。まぁ、毎日テレビ見てて、CMの時に授業のノートを見てる程度かなぁ」
ズガーンと来ましたね。勉強と言えば、机の前で椅子に座り、鉛筆をもってするものとばかり思っていたが、日々のテレビの合間のCM中に授業のノートを見るだけというこの発想、この実践。テレビを1日に1時間見れば、CMの時間は10分にもなるだろうか。1年で3650分。3年で、えーっと・・・なんちゃら分にもなる!なんちゃら分ってことは、時間に直すとほにゃにゃら時間である。テレビを見てるだけで、ほにゃにゃら時間もの勉強量が。
そんなこんなで高校生活を終えたのだが、日々自問自答していた「入学してから何ミリの成長ができただろうか」との自分の問いへの自己採点は「んー、30mmくらいかな!」であった。ちなみに、黒髪ロングの美少女にもなれませんでしたし、ありがたいお言葉をまったく記憶していなかった秀才君は日本一の大学へ行きました。
あれですね。どんなことでも、行動しなきゃ意味はないんですね。
さて、皆さんはこの3年間で何ミリの成長をしましたか?私は、んー、30mmくらいかな!